Ⅰヨハネ3章11~24節

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(Ⅰヨハネ3:16)

説教題 「神の命令を守る者」
聖 書 Ⅰヨハネ3章11~24節
説教者 長谷部裕子師

今朝は2019年の新年礼拝です。一年52週に渡って神様に礼拝をささげます。船橋の教会ビジョンのキーワードの「互いに愛し合う」ことを、かのマリヤがしばしばしたようにさらに深く思い巡らす(ルカ1:29,2:19)ことから始めます。

1. 神様の慈悲深いように。

「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」(新改訳2017/23節) つまり互いに愛し合うことを、神は奨励されるよりさらに強く命令されました。(口語訳と協会共同訳は「神の戒め」)生来ウマが合う気の置けない間柄ならいざ知らず、相手との間に意見の対立や感情のもつれやさまざまな誤解が生じると、互いに愛し合うことは口で言うほど容易いことではありません。しかしイエス様はこう言われました。「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。」(ルカ6:32~33)つまり互いに愛し合うことは、愛するのに何の抵抗も感じない「その人が愛しやすい人」を指しているのではありません。むしろ自分が愛しづらい人こそ、神のこの命令は必要なのです。分け隔てなく愛する者に変わるには、罪人のわれわれをためらいもせずに愛して赦された神様が、どんなに慈悲深いかを思い起こすことです。(ルカ6:36)ゆるせないほどの人はもはや一人もいません。

2. 聖霊様に聞き従うことで

わたしたちが神の命令である「互いに愛し合う」には、独りよがりな考えではなくわたしたちのうちに住まわれる聖霊様の細きみこえに、常に尋ねて聴き従うことが何より大切です。互いに愛し合うことは、言葉や口先だけでは相手になかなか伝わりません。神の命令に忠実であることを示すバロメーターは、互いに行いと真実をもって愛し合うことです。(Ⅰヨハネ3:18)
マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心だ。」と言ったのは有名な話です。互いに愛し合うことの第一歩は、相手に関心を寄せてその人が願っていることがわかったなら、一緒に祈ることから始めましょう。

3.イエス様の愛に倣い

ヨハネ3:16は聖書中のかなめとなる聖句ですが、Ⅰヨハネ3:16も素晴らしい聖句です。「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(Ⅰヨハネ3:16) イエス様は「互いに愛し合う」ことの重大な意味を、天の父なる神様との愛の断絶を味わい(マタイ27:46)十字架でいのちを捨てることで自ら教えてくださいました。これこそが愛は名詞ではなく動詞ですと言われるゆえんです。それによってわたしたちは神様の愛がどれほど深遠かつ崇高で不変であり、その豊かな愛が永遠に続くのかを、イエス様の十字架によって体験的に知りました。この愛をもって滅びから信仰により救われた今、イエス様の愛に倣うからこそ、兄弟のためにいのちを捨てる覚悟ができるのです。

【中高生が考えるためのヒント】

(問1) 互いに愛し合うことはたやすいですか、難しいとしたらなぜですか
(問2) 神様がクリスチャンの中におられることは、何が証明しますか
(問3) イエス様が十字架で死なれたことで、人間にわかったことは(Ⅰヨハネ3:16)