金 言 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。(ルカ24:47~48)

説教題 「心の目が開かれるとき」
聖 書 ルカ24:38~49
説教者 長谷部裕子師

今年のイースターは4月21日でした。主は墓からよみがえられた後、四〇日に渡って復活されたお姿を、弟子たちと多くの人々に顕現なされました。四福音書にはそれぞれ復活のイエス様が、突然弟子たちの前に現れたエピソードが記されています。その記事からの復活の実態を検証したのち、復活のご目的を聖書から読み解きたい。それによってイースターからペンテコステに向けての大切な五〇日間に、わたしたちキリスト者は、主が本当に復活されたことを確信して、わたしたちに託された主の御思いを味わいたいと思います。

1. 復活、霊だけでなく肉体も(36~43)

復活されたイエス様は、エマオの途上にあった二人の弟子に現れて聖書を解き明かします。二人の弟子はパンを祝福して裂く姿を見て、霊的な目が開かれて、その方が復活されたイエス様であることがわかります。弟子たちは大喜びでエルサレムに引き返して、仲間の弟子たちに主が本当に復活されたことを報告します。話しているとそこにイエス様が現れます。復活されたイエス様を目の当たりにした弟子たちは「おびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。」(37/新改訳2017)のでした。英語の聖書(Good News Bible)では幽霊をa ghostと訳されています。イエス様は「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。」と弟子たちに声をかけます。そしてご自分が幽霊などではなく、肉体を備えた実存する人物である動かぬ三つの証拠を彼らに見せます。第一に手と足の傷跡を見せます。第二にご自分に触らせて肉や骨があることを示します。(39)彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので(41)最後に焼いた魚を食べて見せます。(43)かつて弟子たちは十字架にかかられたイエス様を見捨てて逃げ出しました。復活されたイエス様を目の前にしても、まだ信じられません。そんな愚かで弱腰の弟子たちにイエス様は腹を立てません。それどころか弟子たちがわかるまでご自身が確かに死からよみがえられて、贖いを完成された神の御子であることを示されます。

2. 復活、聖書の成就(44~46)

復活のイエス様は、エマオに向かう弟子たちに聖書を巧みに解き明かしました。(27)それはイエス様が聖書の知識に長けていただけでなく「聖書は、わたしについて証ししているもの」(ヨハネ5:39)だからです。「モーセの律法と預言者たちの書と詩篇」(44)とは旧約聖書全体を指しています。つまり旧約聖書全体はメシヤを指し示しており、人類の救いの完成に至るのです。そのために聖書はすべて成就しなければならないのです。 (44) イエス様はその聖書を悟らせるために、恐れと疑いで閉ざされて曇っていた弟子たちの心の目が、真理に対して開かれます。(45)

3. 復活、キリスト者の目的と主の約束(47~49)

キリストの復活は、わたしたちの救いの保障を強く証ししています。ローマ4:25には「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」とあるように、十字架だけでなく復活を抜きにしては、私たちの救いはあり得ませんでした。ですから「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」(47/新改訳2017)ように、主の憐れみによって先に救いを得たわたしたちキリスト者が、イエス・キリストの十字架と復活の証人となるように、おのおのがキリストから招かれています。
弟子たちはキリストの証人に整えられ、「父が御子に約束されたもの」(49)を得るために、使徒行伝1:13~14でエルサレムの屋上の間に集まった人々のように、忍耐強く祈り待ち望まなければなりませんでした。「父が御子に約束されたもの」それが約束の御霊です。ペンテコステの恵みは「いと高き所から力を着せられる」(49)経験です。あなたに聖霊が知恵を授け、自分の内にはなかった愛と勇気に満たしてくださいます。今年イースターを終えたわたしたちは、ペンテコステを待つこの期間に、聖霊を待ち望み「御霊の生きもの」として、置かれた場所にあってそれぞれが、栄光の主を証ししていきましょう。

(問1)イースターからペンテコステまで何日ありますか。
(問2)イエス様は弟子に肉体もよみがえられたことをどのように見せましたか。
(問3)心の目が開かれた弟子たちは、誰のことを証ししますか。