金 言 『イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」』(ヨハネ21:19)

説教題 「おのおのが主の使命に立つ」
聖 書 ヨハネ21:15~23
説教者 長谷部裕子師

2019年のイースターは4月21日でした。そこから復活節が始まって7週間後(50日)の来週の日曜日はいよいよペンテコステ礼拝(聖霊降臨日)を迎えます。福音書にはイエス様がご復活後に弟子たちに、会うために突如現れたことが書かれてあります。ヨハネ21章はペテロの発案で弟子たちがガリラヤ湖に漁に行きます。漁師だったペテロは勘と経験を頼りに、早朝のガリラヤ湖に舟を出しますが、まったくあたりがはずれて不漁でした。岸辺の男性に「船の右に網を下ろしてみなさい。」と声をかけられた弟子たちが、網をおろすと意外にも大漁でした。ヨハネは声の主がイエス様であることを見抜きます。(ルカ5:1~7)イエス様は陸に上がった彼らに焼き立ての魚で朝食をもてなします。弟子たちはイエス様がご復活された感激を声に出さずに喜び、ガリラヤという起点に戻って心温まる再会から、この地から再び遣わされて行きます。15節からはペテロとイエス様の問答が始まります。

1.やり直すチャンスを与えられて (15~17)

ペテロは復活のイエス様にお会いできた嬉しさ反面、主に面と向かうことに居心地の悪さを感じていたかもしれません。それは予告された通りに、あの夜イエス様を知らないと3度も言い張ってしまったからでした。どの面下げてイエス様に会えようかと面映ゆさを感じていたに違いありません。どんな言い訳を考えても、虚しさは消せません。口ごもるペテロにイエス様は「私を愛するか」と重ねて三回も尋ねます。ついにペテロは「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」(17)失敗しない人はいません。どんなに悔いても「後悔先に立たず」なのです。ペテロに限らずに主はわたしたちの愚かなふるまいをすべてご存じなのです。あわれみ深い主は三度主を否んだペテロにやり直すチャンスを与えるために、あえて三回尋ねました。新聖歌342「神の子なるイエス」の4番の歌詞が心に響きます。「全て主は赦し 前の如く 御胸に抱き 愛し給う」

2.神の栄光があらわれる生き方 (18~19)

イエス様はペテロの行く末を暗喩します。ペテロが「若かった時」は、自分が中心なので思いのまま生きることができました。ところが「年をとると」自分の中心に神がおられることを認めるので、自分が行きたくない場所に行くことさえ拒みません。「これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。」(19)とあるように、ペテロの最後は十字架によって殉教します。伝承によればペテロは「自分は主と同じ有様で死ぬに値しない。」と言いさかさまに十字架につけられたそうです。ペテロが復活の主にお会いしたことで、もはや死を恐れることなく立ち向かい、彼の死は神の栄光をあらわすことになることを、イエス様はすでに知っておられました。弱気なペテロはもういませんでした。イエス様は「わたしに従ってきなさい」と彼を招かれたのです。わたしたちは将来のことは皆目わかりません。それでもあなたが神様の栄光があらわれる生き方を選びたいと願うなら、まずイエス様に従うことです。神様はご自身に従ってくる者を愛して大切にされます。

3.おのおのが主の使命に立つ (20~23)

ペテロが振り返ると、ヨハネがあとをついてきます。ふと興味半分にヨハネの将来がどうなるかをイエス様に尋ねます。しかしイエス様は、「あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい。」(22)と言われます。イエス様は「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マルコ8:34)と言います。わたしたちはおのおのが自分の担うべき十字架があります。それは神様が定められた使命と重荷が一人ひとり異なるからです。自分の十字架が重く感じて、他人がうらやましく思えることがあります。しかしイザヤ30:18 には、「それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。」とあるのを信じます。新聖歌445「重くとも汝が十字架」の歌詞のようにわたしたちは意気揚々と進もうではありませんか。「笑みをたたえて 感謝抱きて 十字架を担え 神より報いをば受くべし」

(問1)あなたには取り返しのつかないと感じる失敗がありますか。やり直せます。
(問2)あなたが神様に従うことが難しいと感じるのはどんな時ですか。
(問3)考えてみてください。あなたが神様に担わされた十字架はなんでしょう。