金 言 「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか」

(21節)

説教題 「主こそ神です」
聖 書 列王記上18:20~40
説教者 井上 賛子 師

今日は、預言者エリヤがカルメル山で、バアルの預言者450人、アシラの預言者400人と戦ったお話です。

1.バアルの預言者たちとの戦い

「あなたたちは、いつまで二つのものの間に迷っているのですか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従いなさい。」(18:21) 彼らの信仰はどっちつかずで、主を捨てたという意識がありません。エリヤは、どちらの神が本当の神であるかを北イスラエルの民たちの前で示そうと孤軍奮闘していきます。

2.火をもって答える神

エリヤは「雄牛を祭壇に捧げ、主の名を呼ぼう。そして火をもって答える神を神としよう」と言いました。まずはバアルの預言者からです。祭壇に薪と供え物の牛を載せて、「バアルよ、答えて下さい。天から、火を降らせて下さい」と大声で叫び、剣や槍で体を傷つけて祈り続けましたが、何も起きません。エリヤの番です。壊れていた祭壇を築き直し、牛や祭壇の周りや溝を水浸しにしました。「主よ、わたしに答えて下さい。あなたが神であることを示して下さい。火を下して下さい」すると天から火が下り、すべてを焼き尽くしました。民たちは、「主こそ神です。主こそ神です」と叫びました。

3.よろめく民たちへ

①偶像というもの  「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない」(出エジプト20:4)と十戒にあります。神を目に見える像に刻もうとする心の根底にあるのは、この「自分のため」ということです。様々な世の苦しみの中におかれる時、身近にあるものを偶像に仕立てて、逃げたくなります。偶像は英語にするとアイドル(idol)です。人はありとあらゆるものをアイドルに仕立てて、それを逃げ場所、拠り所とするのです。                     

②妥協すること   「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。…あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24) 気を付けなければならないのは、教会や信仰の中にいつの間にか、この世の習慣や価値観が入り込んでしまうことです。信仰的寛容さであるように見えますが、この世のものが入り交じり、信仰の純粋さが失われていくのです。わたしたちは、そこから離れなければなりません。                                  

③祭壇を築き直す  最後に創世記35章1~4節を見ます。ここでヤコブは、行き詰まりの中にいました。その時、主は「ベテルに上って、主のために祭壇を築きなさい」と言われたのです。ベテルに帰るとは、初めて神がヤコブに現れた所に戻ることであり、神の臨在(信仰の原点)に立ち返ることを意味します。ヤコブは「苦難の日にわたしに答え、わたしが歩んだ道で共にいて下さった神」のために祭壇を築き、自分の周りの者たちにも、すべての偶像を捨てさせました。ここでヤコブは神とのかかわりにおいて、新たなる信仰の決心をしたのです。彼は兄エサウを裏切り、人を傷つけ、自己中心の生き方を繰り返してきた人でした。様々な苦しみを通して彼はどんなに自分が罪深いものであったのかを学んでいきます。わたしたちも、いつも祭壇を新たにしましょう。いつまでも、よろめき迷う者ではなく「きょうを限りに、主よ、わたしはよろめきません。わたしはあなただけに仕える決心をし、永遠にあなただけをわたしの神とします」と告白しましょう。                             

問1:あなたには偶像(アイドル)があるだろうか。
問2:苦しい時、つらい時、まず何を思い浮かべるであろうか。
問3:日々の生活の中で、祭壇を築くとはどのようなことであろう。