金 言 「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」
(ヨハネ 1:9)
説教題 「全ての人を照らすまことの光」
聖 書 ヨハネ1章9~13節
説教者 長谷部裕子師
「幸福な王子」は、オスカー・ワイルドが書いた子ども向けの短編小説である。そのあらすじは、ある街に「幸福な王子」と呼ばれる像が立っていた。両眼にはサファイヤ、腰の剣にはルビーが埋め込まれ、体は金箔に覆われた美しい像で町の人の誇りだった。その像には秘密があり、若くして死んだ王子の魂が宿っていて、王子は町の貧しい不幸な人々のことを、いつもあわれんでいた。渡り鳥のツバメが、王子の像の足元で翼を休めていると、突然大粒の涙が降ってくる。ツバメが上を見ると王子が泣いていた。王子はこの場所から見える不幸な人々に、自分の身を飾る宝石や金箔をあげてきて欲しいとツバメに頼む。ツバメは王子に言われる通り、王子の身を剥いで貧しい人にそれらを届けた。やがて王子の像はみすぼらしい無残な姿になり、心無い人々に壊されてしまう。王子に仕えて町中を飛び回るうちに、南の国へ渡り損ねたツバメも寒さで死んでしまう。王子という高貴な身分に生まれながらも常に貧しい人を顧みて、惜しげもない自己犠牲に基づく愛の行為の末に、自分自身は破滅してしまう。
この物語をクリスマスにふと思い出した。キリストは神の子の身分を捨てて、無力な人間の幼子として地上に降りて来られた。人の目に隠された真の目的は、神の愛とあわれみのゆえに、不幸な人々に仕え十字架上で救いを成し遂げられた。まことに自己犠牲を満ちた生き方でした。(ピリピ2:6~9)
1. すべての人を照らすまことの光 (9節)
この方は全ての人を照らすまことの光として世に来られました。それは旧約の時代イザヤによって「わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」(49:6/新改訳2017)と預言され、700年を経て新約の時代、クリスマスはその預言は成就します。ヨハネはイエスが世の光として来られたことを手紙でも証言しています。「それはイエスにおいて真理であり、あなたがたにおいても真理です。闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。」(Ⅰヨハネ2:8)こうしてすべての人の救いの時はキリストの派遣によって始まり「異邦人を照らす啓示の光」(ルカ2:32)としてイエス様はわたしたちの世界に来られました。光はやみとは相いれません。(ヨハネ1:5)光が来るとやみは退き駆逐する性質があります。白日の下にさらすとは光が隠れていた物事を明らかすることです。神の光は正義ときよさを表します。また光を当てるということばは、今まで目立たなかったものを表立って取り上げることを指しますが、降誕のストーリーに登場するマリヤやヨセフ、羊飼いは信仰に篤いが貧しき人々です。神様は彼らに光を当て救い主の誕生のときに用いられました。キリストは全ての人を照らすまことの光として世に来られました。それは神の愛の啓示であり、神の愛の光は罪のやみの中にいるすべての人に差し込み照らすのです。
2. 王を受け入れない頑迷で愚かな民 (10~11節)
父なる神は万物の創造主です。「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、この神からすべてのものは発し、この神に私たちは至るからです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、この主によってすべてのものは存在し、この主によって私たちも存在するからです。」(Ⅰコリント8:6/新改訳2017)御子は世の造られたときすでにそこにおられたにもかかわらず、世はこの方を知らないと頭を振り認めようしなかった。神の子イエス様は王の王として、ご自分のものところに来られたのに、彼の民はぬかずきひれ伏し王をたたえるどころか、イエス様が自分たちの欲する救い主でないと知ると憤り、エルサレムに大歓迎で迎え入れたのに、たちまち反旗を翻して「十字架につけよ」とわめきたてて騒ぐ頑迷で愚かな民だった。
3. 神を信じるだけで生まれた神の子どもたち (12~13節)
イエス様が十字架につけられると、弟子たちは恐れと落胆からひととき信仰から離れるが、死から復活された主にお出会いすることで、主が語られたことがすべて真実であったと確信する。弟子たちは一切の迷いと恐れから解放されて、喜びと確信をもって迫害にひるむことなく大胆に、神の御子による救いを宣べ伝え始める。福音を信じ受け入れるだけで、生まれながらの罪人のわたしたちに「神の子どもとなる特権」が与えられる。たとえその人が犯した罪を悔いて苦しみ嘆き悲しむことがあっても、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々」は、神のあわれみにより、奇跡は瞬時に起こるのです。イエス様の十字架と復活がわたしのためだったと信じる人は、神によって新しく生まれ変わり、神と共に永遠に生かされるのです。クリスマスはこの救いを与えるために、神の御子がわたしたちのただなかに来られたことを、記念してお祝いします。
(問1) イエス様は世の光として来られました。光はどのような良い性質がありますか。
(問2) あなたは誰に造られ、この世界は誰が治めておられると思いますか。
(問3) 神の子どもとなる特権はどうしたら私たちに与えられますか。