金 言 「すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。」(Ⅰヨハネ1:3)

説教題 「いのちの言に生かされて」
聖 書 Ⅰヨハネ1章1~4節
説教者 長谷部裕子師

 キリスト教を一言で言い表す聖句として思い起こされるみことばに「神は愛である。」(Ⅰヨハネ4:8)がある。この聖句が書かれた書簡ヨハネの第一の手紙を今月から開きみなさんと味わいたい。著者は伝承によれば福音書を書いた12弟子のひとりのヨハネである。本日の箇所は手紙の序文にあたる。
 ヨハネは兄ヤコブと共に、ガリラヤの漁師として湖畔で漁網を繕っているところを、イエス様に声をかけられて網を捨てて弟子になった。(マタイ4:21~22)最初は荒くれ者の海の男たちだったからでしょうか、イエス様に「雷の子」とやや不名誉なあだ名をつけられるほどに、その気性は激しかった。(マルコ3:17)その名の通りヤコブとヨハネはイエス様を歓迎しなかった村人に対して「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。(マルコ9:54)と息巻いている。そのときイエス様は彼らをその場でおしかりになられる。ところが驚くことにやがてヨハネは「愛の人ヨハネ」に変わる。ヨハネはイエス様に同行して寝食を共にするうちに、イエス様の人格に惹かれ語ることばに心動かされたのだろうか。

1.神が人となりて 1~2節

 ヨハネはキリストと多くの時間を過ごすことで、このお方の声を間近に聞き、自分の目でじっと見つめ、実際にこのお方にさわって経験を持つ希少な人物だった。ヨハネがこの手紙を書き記した頃には、グノーシス主義(○ギ知識の意)という異端が、教会を荒らしていた。彼らは「物質は悪だから、イエスが人だったら神であるはずがない」といいイエスとキリストを区別した。彼らの考えではキリストはイエスがバプテスマを受けるときイエスのもとに来られて、イエスが死ぬ前に去って行ったといい、だからイエスは死んだがキリストは死ななかったと主張した。ヨハネはこれを完全な誤りとし、キリストの受肉の真実性と永遠性を教えるためにこの手紙を書く。ヨハネにとって「キリストの受肉が真実である事実」は、なんとしても譲るわけにはいかなかった。いのちの言であるイエス・キリストは、幻のようにつかの間現れては消えてしまうようなものではなく、肉体をもって人類の歴史を確かに生きた実在の人物である。イエスとキリストは同一人物であり神の御子である。イエスとはお誕生の際に与えられた名前であり、このお方の完全な人性(人としての性質)を表す。キリストとは「油注がれた者」(メシヤ)であることを物語る。
 そもそもイエス・キリストとは「イエスは救い主である」という意味であり、イエス・キリストという自体がキリスト教的なメッセージを含んだ名称である。つまりこの名は、初期のキリスト者たちのイエス様に対する信仰の表明であり、同時に最も短い信仰告白になった。
 2節には「この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――」とあるように、イエスは父なる神と共に永遠の昔から存在しておられた方が、一人の人間としてこの世にくだられた。弟子たちはそのことを語らずにはおられません。「このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。」(2)と奥義を臆することなく人々に知らせた。

2.私たちの交わり 3~4節

 ヨハネだけではなくイエスをよく知る使徒たちはそれを知り信じた。父なる神が私たち人間の罪を赦し、神の子どもとして深くご自身と交わるために、御子イエス・キリストを地に遣わされた事実を。このイエスの人格とメッセージを通して、「父ならびに御子イエス・キリストとの交わり」をもつことが、私たち人にゆるされた。この神との交流を回復した人は、孤独を恐れることはない。祈りを通してみことばによって励まされるといった神との交わりは、私たちの気持ちが落ち込こみ自信を喪失して、迷いと不安に囲まれても、この交わりがある限り、私の心も魂がいやされて創造者は回復をもたらしてくれる。イエスが悪魔に誘惑を受けた時も『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ4:4)と言われた。ヨハネは神との交わりは、人の喜びが満ち溢れるためだと記している。心と魂の渇きをいやすことができるのは、慰め主である私たちの神、主おひとりだ。

(問1)ヨハネが手紙でまず伝えたかったことは何ですか。
(問2)私たちキリストにある交わりとは何を意味しますか。
(問3)あなたには、本音で語れる良い交わりがありますか