金言
「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。妻たちよ、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:21,22)
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」(同 5:25)

説教題 「神の愛、夫婦の愛」
聖 書 エペソ5:21~33
説教者 矢島志朗勧士

エペソ人への手紙の後半では具合的な勧めとして、教会の一致、新しい人を着ること、光の子どもとして歩むこと、御霊に満たされて歩むこと等が語られる。そしてさらに具体的な人間関係の勧めへと進み、まず夫と妻の関係についての勧めがなされる。

1.教会がキリストに従うように(22-24)

 「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい」(22)。この勧めは男女に優劣があるという意味ではなく、夫婦の秩序に基づくものである。「従う」には、「自分を合わせていく」という意味がある。また33節には「夫を敬いなさい」ともある。「敬う」には、「大切にし、尊敬する」という意味が含まれる。この勧めの前提として語られているのは、「キリストが教会のかしら」であり、「教会がキリストに従うように」ということである。
 教会がキリストに従うとはどういうことか。それは、救い主キリストがなしてくださった贖いのみわざに感謝しつつ、キリストが語ってくださることば、すなわち、教会で語られるみことばに心を込めて耳を傾け、その語りかけに応答し、従っていく事である。
 船橋栄光教会で掲げられているビジョンも、熱心な祈りと討議を経て主が与えてくださったものと受け取れるであろう。そのビジョンが実現されることを心から願い、祈りつつ、みこころが成ることを心から願い、主が教会に語ってくださるみことばに従い、自分を合わせて生きていく。そのような生き方を教会に連なる一人一人が心がけて実践し、また夫婦の関係では妻が身を夫に身を合わせて従っていくという秩序を守ることで、神様の祝福がより豊かにあらわされるのである。

2.キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように(25-33)

 夫たちには「妻を愛しなさい」という勧めがなされる(25)。この前提にあるのは、「キリストが教会を愛し、教会のためのご自身を献げられた」ことである。そのことには教会をきよめて聖なるものとし、傷のないものとしてキリストの前に立たせるという目的があった(26.27)。
 キリストは教会を自らの一部として愛し、養い育ててくださっている。「養う」という言葉には「注意深く守ってくださる」という意味も含まれる。私たちが聖なるものとなっていくことは、人間が造られた目的にかなっていることである(2:10)。そうなっていくように、神様は日々導いてくださっている。私達の必要を満たしつつ、キリストの身丈にまで成長させてくださる(4:13)。
 私たちは、キリストのからだの部分である(30)。この理解を前提として、夫は妻を自分自身のからだを愛するように愛するのである。その実践をする中で、二人は一体となっていく(31)。「一体となる」は「一つの肉となる」とも訳される。このことは奥義(啓示されて、明らかにされた真理)であり、人間が創造された時にすでに語られていた祝福である(創世記2:24)。

3.キリストを恐れて、互いに従い合いなさい(21)

 妻が夫に従うこと、夫が妻を愛すること、この両者の勧めが語られる前に「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」と語られていることに注目したい。この「恐れ」は「畏れ」とも記され、尊敬の念をこめたものである。
 夫に従うことも、妻を愛することも、等しくキリストを恐れて従い合うことなのである。キリストへの恐れは、その偉大さ、聖さを知るともに、その愛を深く味わう中で生まれてくる。私達に日々与えられている命と恵み、家庭、教会での交わり、地上で託されている働き、これらを良く思いめぐらし分かち合う中で神の愛に気づくことを励まし合いたい。また罪を示され直面させられる時には、自分や隣人を不必要に責めたり逃げたりするのではなく、キリストの十字架を見上げて悔い改め、罪の赦し、救いへの感謝を増していきたい。その上で、従うこと、愛することを実践し合う中に与えられる平安、喜び、祝福にあずかっていきたい。神様の愛ゆえに愛し合い、従い合う日々へと共に遣わされていきたい。

(問1)妻が夫に従うように勧められる根拠は、何でしょうか。
(問2)夫が妻を愛するように勧められる根拠は、何でしょうか。
(問3)どちらにも共通していることは、何だと思いますか。