金言
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8)

説教題 「聖霊の力を受けて」
聖 書 使徒の働き1章3~8節、2章1〜4節
説教者 栗本高仁師

 今年もイースターに続きペテンテコステを迎えました。どうしてもペンテコステは、クリスマスやイースターと比較すると小さな出来事のように思ってしまう私たちですが、「聖霊」なくして教会の2000年の歴史はありません。

1)真理を明らかにされる〜私たちの理解の限界

 イエス様はイースターで復活され、弟子たちに現れ続けてくださいました(1:3)。そして「神の国」のことを語り、「エルサレムを離れないで、…父の約束を待ちなさい」と命じられます(1:3-4)。つまり、イエス様は「神の国」の実現のために「聖霊」がなくてはならないことを彼らに教えます。しかし、弟子たちの理解は不十分でした。なぜなら、彼らにとっての「神の国の成就」は「イスラエルの再興」であったからです(1:6)。しかし、神様の方法は、彼らが理解しているようなものではありませんでした(エルサレムは紀元70年に崩壊)。また、神様のときも、聖霊が降られる時ではありませんでした。
 そのような弟子たちの理解力の限界は、私たちの現実でもあります。そのような私たちだからこそ、イエス様は「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださ」ると約束してくださったのです(ヨハネ16:13)。私たちの見方が歪められていないだろうかともう一度点検させていただき、「真理の御霊」によって目を開いていただきましょう。

2)神様の方法〜イエスの証人として一人ひとりを用いる

 それでは、「神の国」を実現させるための、神様の方法とはどんなものであったでしょうか。イエス様は弟子たちに対して「神の国がいつ実現するかは、父なる神様が決められることである」(1:7)と言います。そして、それ以上に大切なことは「『聖霊を受けた一人ひとり』が『イエスの証人』となり、その範囲は全世界に広がる」ということを語ります(1:8)。つまり、イスラエルという国が再興して、神の国が到来するのではなく、イエス様を信じる一人ひとりを通して、神の国が現実となっていくのです。なぜ神様は、それほどまでに私たち人間を用いたいと願われたのでしょうか。それは、天地創造において、神様が人に「この地を治める使命」を委ねられたためです(創世記1:28)。「神の国」の実現のために私たちが必要とされているのです。その幸いと光栄を覚えさせていただきましょう。

3)聖霊の力によって実現する

 しかし、「神の国」は私たちの力で成就するのではありません。イエス様は明確に「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」(1:8)と語られました。この聖霊の力を受けて、私たちも証人としての働きをなすことができるのです。
 実際に、ペンテコステにおける弟子たちの様子を見るときに、聖霊の力があったことを知ることができます。ペンテコステの日に、「激しい風が吹き」、「炎のような舌が分かれて現れ」、聖霊が「一人ひとりの上にとどまり」ます(2:2-3)。その結果、何と驚くべきことに「他国のいろいろな言葉」で話し始めたのです(2:4)。「ガリラヤ人」であり、かつ学者でもない彼らがあらゆる周辺諸国の人たちが理解できる言葉で、「神のみわざ」を語ったのです(2:7-11)。
 言葉の問題だけではありません。弟子たちはイエス様が十字架に架かられる前も後も、恐れ怯えていました。そのような彼らが、何と大胆にイエス様の十字架と復活を語るのです。まさに、これこそ「聖霊の力」なのです。私たちの「証人としての力」を与えてくださるのも、「聖霊」であることを覚えさせていただきましょう。

 すでに2000年前のペンテコステの日に降られた聖霊は、私たちを「すべての真理」に導き、私たちを「イエス様の証人」とする力を与えてくださいます。今朝もう一度この「聖霊」に満たされて、それぞれの地に遣わされてまいりましょう。