金言
「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(マルコの福音書26:28)

説教題 「子どものように受け入れる」
聖 書 マルコの福音書10章13~16節
説教者 栗本高仁師

 今日は、幼児児童祝福礼拝です。イエス様は子どもたちを愛し、ご自分のもとに来させて、祝福されました。今日はそのところから、私たちも教えられていきましょう。

1)神の国は誰のもの?

 今日の話は、イエス様に触れてもらうために、人々が子どもたちを連れてくるところから始まります(13節)。この光景を微笑ましく思う私たちですが、その場にいた弟子たちは違っていました。弟子たちは彼らを叱ります(13節)。それは、忙しいイエス様の働き(神の国のための働き)を邪魔させないためでした。イエス様に対する配慮があったとはいえ、「神の国」に対する彼らの理解は歪められていました。「子ども」は、神の国の中心的存在ではない、と思っていたのです。そして、それが一般的な理解でもありました。しかし、イエス様はそのようには考えておられません。むしろ、「子ども」のように社会的には立場がないと思われていた者たち(女性、貧しい人、病人、罪人と呼ばれていた人)に愛を注ぎ、彼らを神の国の中心に招かれました。そのため、イエス様は弟子たちに憤られて「神の国はこのような者たちのものなのです」(14節)と言われたのです。
 私たちの「神の国」に対する理解、価値観は、どのようなものでしょうか。子どもたちだけでなく、ある種の人たちに対して、入場制限を設けているなら、私たちも弟子たちと同じことをしているのかもしれません。どうぞ、もう一度私たちの価値観を見直させていただきましょう。

2)神の国に入るためには?

 イエス様はさらに「まことにあなたがたに言います」(15節)と続けられます。イエス様は「単に子どもたちが神の国に招かれている」と言われたのではありません。むしろ、すべての者が「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」(15節)と言われたのです。つまり、「子どものように神の国を受け入れる」ことが、神の国に入る(救われる)ための絶対条件なのです。
 これを聞くと少し困惑される方がいます。今さら子どものようにはなれない…と。確かに、すべての人が子どものようにならなければ救われないとすると、それは無理なことでしょう。また、もし全員が本当に子どものようになったなら、大変な世界にもなってしまいます。しかし、イエス様が言われたのは「子どものようになりなさい」ではなく、「子どものように…受け入れなさい」でした。それは小さな違いのようで、大きな違いです。

3)「子どものように受け入れる」とは?

 それでは「子どものように神の国を受け入れる」とはどういうことでしょうか。まず大前提として、「神の国」は「受け入れるもの」であり、決して「取りにいくもの」ではありません。イエス様が宣教を開始された時、「時が満ち、神の国は近づいた」(マルコ1:15)と宣言されましたが、イエス様の到来(クリスマス)によって神の国はもたらされたのです。まさに、それはプレゼント(賜物)です。
 神の国は神様からのプレゼントであるとわかったとき、「子どものように神の国を受け入れる」という意味が明確になってきます。プレゼントを受け取るという点において、子どもたちは実に素直なのです。それは、彼らが自分の力では生きていくことができない存在であり、親や周囲の人に頼るためです。そして、実は私たちすべての人は(子どもであろうと、大人であろうと)、神様なしで生きていくことはできないのです。それゆえに、イエス様はここで「自分の弱さを認めて、子どものように『神様の助け』を必要としなさい」(=「子どものように神の国を受け入れる」)と私たちを招いておられるのです。まさに、キリスト教信仰の根本は「私にはイエス様の救いが必要です」と謙遜にその救いを受け取ることにあるのです。

 イエス様は、ご自分のもとに来ようとする者を招き入れ、手をおいて、祝福してくださいます(16節)。どうぞ、すべての方々が今日この祝福を受け取ることができますように。