
聖 句「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)
説教題 「神があなたを創造したー救いの基礎①」
聖 書 創世記1章1~2節、26〜31節
説教者 栗本高仁師
キリスト教が教えている「救い」とは何でしょうか。救いは「すべてのとに必要なものなのでしょうか。そのことを知る鍵は世界のベストセラーである「聖書」にあります。
その聖書の最初には「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)と書かれています。これは、この世界にある「すべてのもの」を神が造られたという意味です。つまり「私を造ってくださった方がいる!」ということです。実はこれ自体が私たちを救う言葉ではないでしょうか。
1)もし造られた存在でなかったなら…
それはなぜでしょうか。もし、私を造ってくださった方がいない、すなわち「神なんていない」と考えると、どうなるでしょうか。私たちすべての人は、自然に、偶然にこの世に存在することになります。そのため、本来的には「私がなぜ生きているのか」という問いに答えられません。
しかし、それでは虚しいことを知っています。そのため、何とか自分で生きる目的、生きがいなどを見つけようとするのです。例えば、家族、友達、仕事、お金、趣味などです。それがあるうちはいいですが、なくなったらどうでしょうか。一瞬のうちに、私たちは生きがいを失い、何のために生きているのかがわからなくなってしまうのです。
神様がいない生き方は、不安に満ちた人生ではないでしょうか。
2)神は目的をもって私たちを造られた
しかし、聖書ははじめにはっきりと言います。「この世界、そしてこの世界に生きる私たち人を造られた方がいる」と。ある人はこのようなたとえをしました。
「今、偶然川岸に転がっている石があるとします。この石に存在の目的があるでしょうか。あるはずはないと思います。ただ偶然にそこに転がっているだけなのですから。しかし、その石をだれかが拾って、それで何かをつくったとします。ただちょっと角を欠いて、何かを削れるようにしただけかもしれません。しかし、それで、もうその石器には目的があるわけです。その目的のためにつくられたのですから」(『はじめて聖書を開く人のための12のステップ』羽鳥純二)
まさに、「私」も目的を持って造られたのです。私の存在は、偶然ではなく、必然なのです。このように、私に生きる目的を与えてくださった方がいるがゆえに、もはや自分でその目的や生きがいを見つける必要はないのです。さらに、この方は永遠なる不変なお方です。そのため、私たちは生きる目的を失う心配もないのです。
このように神様がいる生き方は、安心できる人生と言えるのです。
3)神の似姿として、世界を管理するために造られた
それではその目的とは何でしょうか。どれほど科学で探求しても解明できていない「なぜ」という問いに、聖書は最初に答えます。
「神は仰られた『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう』」(26節)。まず、私たち人は「神に似ている存在」である、と言われています。神様は、「茫漠として何もな」かった(混沌としていた)ところに(2節)、秩序を与えました。そして、世界の舞台(光、空、地上、海)がととのえられ(3-10節)、その舞台にあらゆる植物・天体・生き物が造られました(11-24節)。その中で人は唯一、神に似せられた、特別な存在なのです。
このような特別な存在であるからこそ、神様は人に尊い使命を与えました。それが、神様が造られた良い世界を「治め、管理させる」ことです。それはまるで、ある人が一人前になった子どもに、自分の家業を任せるようなものです。この世界を治めるということが、揺らぐことのない目的です。 私たち一人ひとりは、目的のあるものとして造られました。それゆえに、自分で生きる目的を見つける必要はありません。神は世界を治めるという「尊い」使命を与えてくださったのです。それゆえに、私を造ってくださった方がいるとは実に慰めと希望に満ちた救いのことばなのです。