聖 句「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り…」(ローマ5:12)
説教題 「世界の問題のはじまりー救いの基礎②」
聖 書 創世記3章1~11節
説教者 栗本高仁師
前回は「聖書の神様が、目的のある存在として私を造ってくださった」ということを見ました。その目的は、「神のかたち」として、神様が造られた良い世界を治めることでした(実に尊い使命!)。
しかし、この世界を見ると、良い世界どころか、問題だらけ(罪と悪に満ちた世界)に見えます。人が、その尊い使命を果たせているとは思えない現実があるのです。なぜ、そのようになってしまったのでしょうか。
1)世界の問題の根源はどこに?
19世紀の人たちも「なぜ世界は罪と悪に満ちているのか」ということを考えていました。その時、多くの人々に影響を与えたのが「自由主義的楽観」という思想です。それは、「人は根本においては善である。罪や悪という問題が広がっているのは『無知』や『劣悪な環境』のせいである」というものです。言い換えるなら、「教育(=無知からの解放)」と「社会改善(劣悪な環境からの解放)」によって、問題は解決するということです。
しかし、20世紀の歴史、特に2回の世界大戦を見るならば、その夢が幻想にすぎなかったことがわかります。つまり、罪や悪の根源は「人以外のもの(教育や社会)」にあるのではなく、「私たち人間の内」にあるということではないでしょうか。そして、確かに聖書は、人には「罪」があることを数多く証言しています(例えば、詩篇14:3, 伝道者の書7:20)。
2)本来的に罪とは何か?〜罪のはじまりから考える
それでは、人の内にある罪は、どこから始まったのでしょうか(神様が創造した時は良かったはず…)。聖書は「一人の人によって罪が世界に入」った、と語ります(ローマ5:12)。その人とは、最初に創造された「アダム」です。罪が入ってしまう事件が、創世記3章に書かれています。
まず、蛇はアダムの妻エバを誘惑します。蛇は神様が言われた命令(2:16)とあえて反対のことを言い、彼女の不正確さをあぶりだします(1-3節)。そして蛇はその隙をつき、「神は嘘をついて、あなたがたに意地悪をしているのだ」と彼女に信じ込ませるのです(4-5節)。その瞬間、「食べてはならない」と言われていた木の実が、エバの目には慕わしく見えます(6節)。ついに、エバと隣にいた夫アダムは、その実を食べてしまいます。
これが罪の始まりです。つまり、聖書によれば本来的に「罪」とは、私たちを造ってくださった方への「反逆」であることがわかります(目に見える法律上・道徳上の罪はその結果)。その反逆とは、裏を返せば「私が神のようになりたい」という自己中心です(罪というコインの表は「神への反逆」、裏は「自己中心」)。
3)神への反逆から問題が次々と…
罪が入った結果、次々に問題が発生していきます。
①神様(造ってくださった方)との関係の破壊;彼らは自分自身が裸であることが恥ずかしくなり、神様から隠れてしまいます(7-8節)。その後、人はエデンの園から追放され(23-24節)、神様との関係が絶たれてしまうのです。いのちを与えてくださる方との断絶のゆえに、死が現実となったのです(肉体的な死だけでなく…)。
②人と人との関係の破壊;アダムは罪を犯した責任を「妻」に押しつけ(12節)、夫婦関係は歪なものとなります(16節)。
③自分自身を苦しめる;女性は苦しんで子を産むようになります(16節)。そして、大地との関係が破壊されることによって、労働にも苦しみが伴うのです(17-19節)。
これらは、まさに私たちが今直面している問題ではないでしょうか。聖書は、その原因が「罪」にある、とはっきり語るのです。
幸いなことに、聖書は世界の問題のはじまりを語ることで、問題の根本を私たちに教えてくれています。すなわち、自己中心から解放されて、神に立ち返ることが解決の道です。そして、聖書はこの後、その回復の道、すなわち救いの道を教えてくれているのです。