聖 句「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。」 (ルカ1:13)

説教題 「神は覚えておられる」
聖 書 ルカの福音書1章5~25節
説教者 栗本高仁師

 イエス様の物語は、ヨハネ(のちにバプテスマのヨハネと呼ばれる)の誕生をもって始まります。しかも、その誕生は驚くべきものでした。

1)祈りと願いを覚えておられる

 彼の両親が登場します。父ザカリヤは「アビヤ組の祭司」で、その妻エリサベツも祭司の家系(アロンの子)でした(5節)。「二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落ち度なく行ってい」ました(6節)。そのような彼らでしたが、子どもが与えらず、さらに二人とも年老いていました(7節)。当時「神は忠実な者に子どもを与えて祝福する」というのが一般的な理解でした。それゆえ、彼らはこの状況を理解することが難しかったでしょう。
 しかし、驚くべきことが起こります。ザカリヤの所属するアビヤ組が祭司の務めをする当番(一年に2回)の時のことです(8節)。しかも、ザカリヤは「主の神殿に入って香をたく」という務めをすることになります(9節)。これは一生に一度あるかないかのことでした。その務めをしていると、何と彼の前に、主の使いが現れます(11節)。尋常ではないことが起き、彼は恐れおののきます(12節)。しかし、御使いは「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです」(13節)と言います。その願いとは、彼らに「男の子が与えれる」ということでした。興味深いことに「ザカリア」という名は「主は覚えたもう」です。まさに、神は彼らの願いと祈りを覚えておられるのです。「しかし」という現実の中でも、神は私たちのことを覚えておられます。

2)救いの計画を覚えておられる

 さらに驚くべきことは、神は単に彼らの個人的な願いを聞かれたのではない、ということです。
 御使いは「その子はあなたにとって」喜びとなるだけでなく、「多くの人」にとっての喜びでもある、と言います(14節)。なぜなら、彼らの子「ヨハネ」は、「主の御前に大いなる者」として「エリヤの霊と力で、主に先立って歩み」、「イスラエルの子らの多くを、…主に立ち返らせ」、「整えられた民を用意する」ためです(13-17)。まさに、それはマラキの預言の成就です(マラキ4:5-6)。ここに、救い主なる「メシア(=イエス・キリスト)」のために「道備えをする人」が誕生するのです。
 神はご自身の救いの計画を覚えておられました。そして、驚くべき方法で、その計画を実行されるのです。

    3)常識を超えて

     素晴らしい「良い知らせ」を伝えられたザカリヤでした。しかし、ザカリヤはこの御告げを信じることができません。それは彼らの年齢のゆえです。「この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています」と言わざるを得なかったのです(18節)。そのため、彼は「これらのことが起こる日まで、…口がきけなくなり、話せなくなります」(20節)。
     確かに、ザカリヤの気持ちもわかります。ここまでずっと祈ってきたことを考えると「どうして、このタイミングなのですか?」と疑ってしまうのは仕方のないことかもしれません。しかし、今彼の目の前で現実に起こっていること(主の使いが現れる!?)は、常識を超えた驚くべきことです。それでも、その御告げに対しては、自分の常識で考えてしまうのです。
     ここに、私たちの姿があるのではないでしょうか。私たちも聖書を通して、神の多くの驚くべき御業を知りながら(ザカリヤもアブラハムとサラの物語を知りながら)、いざ自分ごとになると信じられないことがあります。そして「もう…ですから」と言ってしまうことがあるのです。神は私たちの常識を超えて働かれることを覚えたいのです。

     ザカリヤは信じ切ることができませんでしたが、神は御告げどおりに、事を成してくださいました(24-25節)。ここに励ましがあります。神はどこまでも覚えておられるのです。