聖 句「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(マルコの福音書10:15)
説教題 「神の国って誰のもの?」
聖 書 マルコの福音書10章13~16節
説教者 栗本高仁師
今日は幼児児童祝福礼拝です。子どもたちにイエス様の祝福を受け取って欲しいと願います。聖書の中にも、イエス様に祝福してもらうために、子どもたちを連れてくる人たちが出てきます。
1)イエス様のもとに行くのに制限がある?
イエス様は、すでに有名になっていました。それは、イエス様が普通の人とは違うような教えを話されたり、病気の人たちを癒すという奇跡を行ったりしておられたからです。そのため、多くの人々がイエス様のもとにやって来ていました。イエス様をひと目みたいという人、イエス様の話を聞きたいという人、病気である家族を治して欲しいという人、様々な人たちがいたことでしょう。
その中のある人たちが「イエス様に触れていただこうと」子どもたちを連れて来ました(13節)。ところが、ある人たちが、壁のように立ちはだかります。それはイエス様の弟子たちでした。彼らは怒った様子で「ダメダメ、イエス様は有名な人でとても忙しいから、子どもの相手なんてできない。あっちへ行っときなさい」と言わんばかりに、連れて来た人たちを叱ります(13節)。
私たちも同じように制限されたことがあり、悲しい思いをしたことがあるのではないでしょうか。果たして、イエス様のもとに行くのには、何か入場制限のようなものがあるのでしょうか。
2)子どものようにイエス様を受け入れる
イエス様はこの弟子たちの行動を見ておられました。そして、非常に怒られたのです。そして弟子たちに言います。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです」(14節)と。イエス様は、はっきりと「このような者たち」、すなわち子どもたちが、ご自身のもとにきて、神の国に入ることができると言われます。いやむしろ「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」(15節)と教えられました。
「子どものように神の国を受け入れる者」とは、どういう人のことでしょうか。それは、自分の弱さを認めて、「私にはイエス様が必要です」と言うことができる人のことです。子どもたちを連れてきた人々も、子どもたちも、まさにそのような心を持っていたのです。
私たちは、イエス様なんて必要ない、自分の力だけで生きていけると思っていないでしょうか。もしそうであるならば、私たちは「決してそこ(=神の国)に入ることはできません」。もう一度、自分自身のことを省みてみましょう。
3)教えられやすい心で
最後に、私たちはこの時の弟子たちと同じようになっていないだろうか、と問いかけたいと思います。
この時、弟子たちは悪いことをしている自覚はなかったでしょう。むしろ、イエス様の働きの邪魔をしないようにと一生懸命だったと思うのです。しかし、それが結果的にイエス様の働きを邪魔してしまっていたのです。
私たちは、簡単にこの時の弟子たちの未熟さを裁いてしまうかもしれませんが、同じことをしてしまっている可能性があります。自分が正しいと思っていたことが、イエス様の目から見れば間違っていることがあり得るのです。だからこそ、いつも私たちは聖書に立ち返り、イエス様が何と仰っているのかを聴いていく必要があるのではないでしょうか。いつも、教えられやすい、子どものような心を持って歩ませていただきたいのです。