聖 句「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ2:20)
説教題 「誰ひとりもれることなく」
聖 書 ルカの福音書2章8~20節
説教者 栗本高仁師
メンバーから外されるということは、とても悲しく、辛いことです。しかし、神様のご計画の中にあって、もれる人はいません。
1)弱い立場にあった羊飼いたち
イエスがお生まれになった時のことです。その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていました(8節)。「羊飼い」について、私たちは良いイメージを持つかもしれません。しかし、この時代における羊飼いは軽蔑されていました。「彼らは他人の土地で羊の群れを放牧する不誠実なものたちである」、「けものたちと一緒に住み、けもののにおいがこびりついている」、「羊飼いにはならずものが多い」など、と言われていたのです。
そのような羊飼いであった彼らは、ベツレヘムというエルサレム神殿に近い場所で暮らしていました。そのため、彼らが育てていた羊は礼拝のささげ物としても用いられていたことでしょう。しかし、羊飼いたち自身は、おそらくまともに礼d拝をささげることはできなかったことでしょう。
このように、ここに登場する羊飼いたちは、住民登録をするために故郷に帰っている人々とは非常に対照的でした。数に数えられることなく、社会的に弱い立場にあり、礼拝をささげることさえも制限されていたのでした。
2)そのような羊飼いが民の代表に!?
しかし、救い主イエス様は、「飼葉桶」という場所で、最も低く生まれてくださいました。それゆえに、救い主誕生の喜びの知らせが、まずこの弱い立場の「羊飼いたち」に告げられるのです。
突然、主の使いが彼らのそばに立ち、主の栄光が彼らを照らします。そして、御使いは言うのです。「見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(10-11節)と。この「告げ知らせる」ということばは、そのままで「喜び(福音)を伝える」という言葉です。しかし、あの救い主メシアの誕生というあまりにも大きい喜びのゆえに、御使いは二重で「喜び」ということばを発しているのです。そのような大きな喜びを、羊飼いたちは、まさに「民全体の代表」として聞いたのです。
ここに福音のメッセージがあります。この世の価値観やレッテルをすべて打ち砕く「良き知らせ」です。神様の前で、取るに足らないもの、軽蔑されて良いものなどいないのです。この喜びの知らせを、羊飼いたちとともに、私たちも聞かせていただきましょう。
3) イエスを通して回復する礼拝
羊飼いたちは、ただ知らせを聞いただけではありません。御使いは最後に「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それがあなたがたのためのしるしです」と言います(12節)。この「しるし」が与えられたがゆえに、羊飼いたちは「救い主であるイエス」を見ることができました(16節)。
そして、その結果何が起こったでしょうか。20節「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」とあります。救い主イエスの誕生は、羊飼いたちの礼拝を回復させたのです。彼らは神殿でまともに礼拝をささげることはできなかったでしょう。しかし、御使いたちと天の軍勢が天に帰る直前に神を賛美したのと同じように(13-14節)、羊飼いたちもいつもの場所へと帰る途中に「神をあがめ、神を賛美した」のです(20節)。今や彼らはイエスを見たがゆえに、神を礼拝するものへと変えられたのです。
このように、神様は誰ひとりももれることなく、ご自身を礼拝することができる道を開いてくださいました。イエス様がそのことをもたらしてくださったのです。私たちは神の栄光を現すために造られました。その回復が、このクリスマスにおいて成就したことを、心から喜び賛美をささげようではないでしょうか。