聖 句「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければなりません。」(ルカ5:38)

説教題 「私たちの皮袋を新しく」
聖 書 ルカの福音書5章33~39節
説教者 栗本高仁師

 住宅におけるリノベーションとは、大幅な改修によって建物を刷新することであるそうです。そのような意味で、部分的な修繕であるリフォームとは大きく異なります。イエス様を信じることは、ある意味でリノベーションに似ています。

1)今はどういう時か?

 レビたちとの宴会の中で、イエスたちを批判したパリサイ人・律法学者たちは、さらにイエスに問いただします。「あなたの弟子たちは、食べたり飲んだりして、断食と祈りを大切にしていないではないか」と(33節)。断食とは「宗教的な理由で意図的に一時的に食物を断つこと」で、様々な理由で行われていました(パリサイ人たちは週2回)。
 すると、イエスはここで結婚式の比喩を使って応答します。「花婿が来ているのに、誰が付き添っているものたちに断食をさせるのか」と(34節)。イエスは断食自体を否定したのではなく、断食をする時は来ると言われます(35節)。しかし、今は断食する時ではなく、むしろ宴会をするのに相応しい時だとイエスは言いたかったのです。ここまで、悪霊につかれた人々、ツァラアトに冒された人、中風をはじめ様々な病に罹っていた人々、取税人たちなど、「貧しい人たち」に「良い知らせ」が届けられました(4:18)。それゆえに、今は祝宴の時なのです。それは、旧約聖書において約束されていた、解放の勝利を祝う宴会の時であります(イザヤ25:6)。イエスが来たことにより、まさにそのような新しい時代が到来したことを、私たちも覚えたいのです。

2)古いものと新しいものは相入れない

 そのことを十分にわかっていなかったパリサイ人たちに、さらに一つのたとえを語ります。それは日常的によく知られていた事柄です。まず、衣服の話で「だれも裂けた古い服のために新しい服を引き裂いて継ぎ当てたりはしない」と言われます(36節)。新しい服が無駄になるだけでなく、新しい継ぎ切れでは古い衣を余計に引き裂いてしまうためです(36節:参考マルコ2:21)。次に、ぶどう酒とその皮袋の話で「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる人はいない」と言います(37節)。なぜなら、新しいぶどう酒が発酵するとガスが発生して、古い皮袋が破れてしまうからです。新しいぶどう酒も、古い皮袋もだめになってしまうのです。
 このたとえでは「新しいもの」と「古いもの」は本質的に組み合わせることはできないことを教えています。その「新しいもの」とは、イエスを通して始まりつつあった新しい時代の到来(今まで実現してこなかった良い世界の到来)です。しかし、パリサイ人・律法学者たちはその到来を理解できないだけではありません。断食をはじめとした伝統的な古い慣習を守るために、イエスがもたらす「新しい世界」をだめにしていたのです。まさに、彼らがやっていることは、古い衣を新しい衣で修復し、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れようとする行為であったということです。私たちも同じ過ちをおかしてしまうことがあるのではないでしょうか。

3)私たちの価値観を刷新する

 それではどうすればよいでしょうか。イエスは彼らに「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければならない」と言われます(38節)。彼らが持っている「皮袋」、すなわち、彼らの価値観・世界観を全く新しいものに変えなければならないということです。そうでなければ、イエスの汚れた人々への癒し、彼らへの罪の赦しの宣言、罪びとと呼ばれている人たちとの食事について理解することはできないのです。
 それは私たちも同様です。私たちの中には古い価値観・世界観が染み付いています。それを部分的に修正する(リフォーム)のではありません。イエスがもたらされた新しい世界(新しいぶどう酒)に合う、新しい価値観・世界観(新しい皮袋)へと刷新する(リノベーション)必要があるのです。それこそが、まさに「方向転換(悔い改め)」と言えるでしょう。
 しかし、それは非常にチャレンジングなことです。イエス様もそのことをご存知であったため最後の話をされます(39節)。私たちは「古い物が良い」と言って、新しいものを拒んでしまうのです。どうぞ私たちも変化を恐れずに、イエス様が始めてくださった新しい時代に合うように、私たちの価値観(皮袋)を新しくさせていただこうではないでしょうか。