聖 句「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイ14:27)

説教題 「嵐をしずめるイエス様」
聖 書 マタイの福音書14章22~33節
説教者 栗本高仁師

 私たちの人生の中では時に嵐が襲いかかってきます。そのような時に、私たちはどうすれば良いのでしょうか。今日の話では、イエス様の弟子たちがまさに嵐に遭遇します。

1)嵐の中で見失うことがある

 ある日の夕方のことです。イエス様の弟子たちは舟にのって湖を渡っていました。実はイエス様が「先に行っていなさい」と言われたのでした(22節)。この中には元々漁師の人たちがいたので、もちろん舟の操縦は手慣れたものでした。
 イエス様は山で祈っておられる中、弟子たちはもうすでに陸からだいぶ漕ぎ出していました。すると、風が強くなり始めます。何とか舟を進めようとしますが、なかなか「向かい風」のために前に進めません(24節)。そして、あたりは真っ暗になり、夜中の3時ごろになってしまいます(25節)。その時のことです。何と前から人が湖の上を歩いているではありませんか。弟子たちは「あれは幽霊だ」と叫び、ぶるぶると怯えます(26節)。実はそれがイエス様であったのですが(25節)、弟子たちは気づきません。
 これは私たち人間の姿を表しているかもしれません。嵐が襲いかかる時、本当に私たちを助けてくださるお方を見失ってしまうことはないでしょうか。

2)イエス様から目を離さないで

 そのような弟子たちでしたが、イエス様は優しいお方です。そのため、「彼らに話しかけ、『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない』」言ってくださいました(27節)。弟子たちは安心します。そして、弟子の一人ペテロという人は、イエス様が湖の上を歩いておられるのを見て、「水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と大胆なことを願い出ます(28節)。イエス様が「来なさい」と仰ると、何とペテロは水の上を歩くことができたのです(29節)。しかし、その時強い風が吹きます。彼はその風を見て怖くなってしまい、おぼれかけてしまいます(30節)。
 ペテロは、イエス様を見続けていれば、イエス様のそばまで行くことができたでしょう。しかし、目を風の方に向けてしまったのでおぼれかけてしまったのです。このところは、私たちの人生の中で襲いかかる嵐に対する秘訣を教えてくださいます。それは「イエス様から目を離さずに歩む」ということです。このような御言葉があります。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)。この御言葉を握って歩んでいきましょう。

    3)信仰の薄い者のために、嵐をしずめてくださる

     ペテロがおぼれかける中で、イエス様はすぐに彼を助け出してくださいます。「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた」と(31節)。そして、イエス様とペテロが舟に乗り込むと「風はやんだ」とあります(32節)。
     私たちにとって大切なことは、疑わないでイエス様から目を離さないことです。でも、私たちは嵐の中で、やはり疑ってしまいます。イエス様ではなく、嵐そのものに目が奪われてしまいます。それゆえに、残念ながらペテロのように「信仰の薄い者」なのです。しかし、イエス様はそれでも私たちを見放すことはなさいません。私たちに近づいてくださり、おぼれかけたら助け出してくださいます。そして、嵐そのものを鎮めてくださるお方なのです。私たちは、人生の嵐の中で打ち倒されそうになります。でも、完全に倒れるのではありません。そして、私たちはだんだんとイエス様が信頼できるお方であるということを、体験的に知っていくのではないでしょうか。

     嵐の中で、私たちはイエス様の助けを体験させていただきたいのです。そして、いよいよイエス様から目を離さないで歩ませていただこうではないでしょうか。