
聖 句「彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。」 (ルカ8:15)
説教題 「忍びて実を結ぶ」
聖 書 ルカの福音書8章1~15節
説教者 栗本高仁師
イエス様はなおも自らの使命を果たす(神の国の福音を宣べ伝える)ために、町や村へと行き巡られます(1節)。そして、そこには12人の使徒たち、さらに多くの女性たちがともにいました(1-3節)。それは、この後宣教のために彼らを様々な町や村へと遣わすための備えでもありました。
1)神のことばによる変革
イエス様はその初めに「種のたとえ」(4-15節)と「明かりのたとえ」(16-18節)を通して、「神の国の奥義」を弟子たちに教えます(10節)。つまり、イエス様が来られたことによって始まった「良い王国」は一体どのような国なのかということが語られます。
まず、種のたとえです。ある人が種を蒔いた時に、4つの異なる場所、すなわち①「道端」、②「岩の上」、③「茨の真ん中」、④「良い地」に落ちます(5-8節)。しかし、最終的に実を結んだのは「良い地」に落ちた種だけでした。しかし、これはあくまでも「たとえ」であり、そこにはイエス様の伝えたいメッセージがあります。まず、ここで注目すべきは「種は神のことば」であるということです(11節)。この神のことばが私たち人間の心に蒔かれて「100倍の実」が結ばれていくのです(8,15節)。これは通常から考えると驚くべき結果でありました。神の国とは、神のことばが私たち人を変革させることによって、広がっていく良い世界なのです。そのイメージを次の「明かりのたとえ」でも引き継いでいます。すなわち、神のことばという光によって、私たち人は「見えるように」なり(16節)、すべてのものは明らかされ(17節)、世界が変革されるのです。
2)成長を妨げるもの
しかし、イエス様がこの時伝えられたかったもう一つの大切なメッセージがありました。それが「聞く耳のある者は聞きなさい」(8節)ということです。「神のことば」をどう聞くかが100倍の実を結ぶための鍵となるのです。それは、蒔かれた神のことばの生長を妨げるものがたくさんあるためです。その妨げるものが、最初の3つの場所に落ちた種のたとえで表されています。
まず「道端に落ちた種」は「人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった」(5節)とあります。イエス様は、これは「悪魔」のわざである、と言います(12節)。悪魔の目的は、何とか人が「信じて救われないように、…みことばを取り去」ろうとします。次に「岩の上に落ちた種」です。岩の上に薄く土がある状態で、確かに最初は生長しますが、根を十分に張ることができずにすぐに枯れてしまうのです(6,13節)。イエス様は「試練のときに身を引いてしまう」人たちのことであると言います。最後は「茨の真ん中に落ちた種」です。この種も確かにしばらくは生長しますが、やがて茨の生長によってふさがれてしまいます(7節)。イエス様は「生活における思い煩いや、富や、快楽」によって妨げられてしまう人のことを指していると言います(14節)。
このように私たちの外側から内側から様々に、神のことばを本当の意味で「聴く」ということを妨げるものがあることを覚える必要があります。
3)忍耐を持って、聞き続けていく姿勢
そのような中で私たちはどうすれば良いでしょうか。イエス様は「良い地に落ちた種」の意味を解き明かすことによって、私たちに語りかけておられます。イエス様は「彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます」(15節)というのです。
ここで私たちは注意深くみことばを聞く必要があります。イエス様は「みことばを聞く姿勢において立派で良い心」を持つようにと言われるのです。もし「立派な良い心」というのが失敗しない完全無欠さを意味するなら私たちは実を結ぶことはできないでしょう。私たちは罪の影響を受け、欠けも弱さも持ち合わせています。それゆえに、悪魔の働き、試練、様々な誘惑に打ち倒されそうになります。しかし、それでも私たちは神様の方に目と心を向けて、みことばを聞き続けることはできます。大切なことは、様々に妨げるものがある中で、いかに心を柔らかして、みことばを聴こうとするかにあるのです。そのためにはイエス様が言われたように「忍耐」が必要でしょう。そして、実を結んでいくには時間もかかることでしょう。しかし、私たちが丁寧に着実にみことばを聞き続ける時、必ず100倍の実を結ぶことができるのです。この希望の中を歩ませていただきましょう。
