聖 句「イエスが自分にしてくださったことをすべて、町中に言い広めた。」 (ルカ8:39)

説教題 「悪しき力から解き放たれる」
聖 書 ルカの福音書8章26~39節
説教者 栗本高仁師

 イエス様は自然界をも従えることのできる方であることを見ました(8:22-25)。そのイエス様の力強さがさらに明らかにされていきます。

1)悪しき力の恐ろしさ

 イエス様は「湖の向こう岸へ渡ろう」(8:22)と言われて、定住していたガリラヤとは反対側の場所「ゲラサ人の地」に着きました(26節)。すると、「その町の者で、悪霊につかれている男」がイエス様を迎えます。彼がどういう状態であったのかが記されています。まず、長い間を服を着ていませんでした。次に、家に住まないで墓場に住んでいたのです。それは人間がするようなことではありません。しかし、彼は自ら進んでそのようにしていたのわけではありません。29節にあるように、彼は「汚れた霊」に捕らえられ、鎖と足かせさえも断ち切る力が悪霊によって与えられ、この荒野に駆り立てられていたのです。彼は悪しき力に支配され、それゆえに異常な状態に陥っていたのです。
 しかし、これはある特殊な人の話ではありません。悪しき力は、私たちすべてのものをも捕らえ、束縛します。それが罪に囚われるということです。この悪霊につかれた男性がそうであったように(28節)、罪は私たちと一体化するほどまでに、私たちのすべてを支配するのです。それゆえに、聖書が語るように私たちは「したくない悪を行なって」しまうのです(ローマ7:19)。罪の力、悪しき力の影響がどれほど大きなものであるのかを私たちは教えられます。

2)悪しき力を超える方

 悪しき力の大きさを覚えますが、それ以上に力を持っている方がおられます。それが、私たちの救い主イエス・キリストです。
 イエス様は、彼の中にいる「汚れた霊に、…出て行くように命じられ」ます(29節)。すると彼の中にいる悪霊は言います。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。お願いです。私を苦しめないでください」(28節)と。つまり、悪しき力を持つ悪霊・汚れた霊は、イエス様が自らより力を持っていることを知っていました。そして、彼らがおおよそ行かされるところについても知っていました。それが「底知れぬところ」です。それゆえに、底知れぬところではなく豚の群れに入ることを許してほしいと懇願するのです(31-32節)。すると、イエス様はそれを許されます。しかし、結局のところ悪霊どもが入った「豚の群れは崖を下って湖へなだれ込み、おぼれて死ん」でしまったのです(33節)。
 悪しき力は本当に強大です。しかし、イエス様はその悪しき力を行使する悪霊さえも恐れるほどに、偉大な力をお持ちの方であることを私たちは覚えるのです。

3)新しい人生を歩み出す

 その後、悪霊につかれた男はどうなったでしょうか。彼は、「イエスの足もとに、…服を着て、正気に返って座ってい」たのです(35節)。豚を飼っていた人々も、町中の人々も、この男の人が悪霊から救い出されたことを確認します(34,35節)。しかし、彼らはそのことに「恐れ」を抱いてしまい、イエス様に出て行ってほしいと願うのです(37節)。イエス様が悪しき力をも超える力を持っていたがゆえに、皮肉にもイエス様を追い出してしまうのです。
 しかし、たった一人だけ違っていました。それは他でもない、悪霊につかれていたこの男です。彼はイエス様に「お供をしたいとしきりに願った」のです(38節)。イエス様についていくということは実際には叶いませんでした。しかし、彼は「イエスが自分にしてくださったことをすべて、町中に言い広めた」のです(39節)。彼の人生は悪霊に支配され、誰の手にも負えないような状態で、たった一人で寂しく生きていました。しかし、そのような悪しき力から解放され、全く異なる人生を歩み出すことができたのです。
 結果的に、イエス様が湖の反対側に来て行われたことは、この一人の男の人を悪しき力から救い出すことだけでした。他の人々はイエス様を拒んだのです。しかし、イエス様はこのように「一人の人生」を変えるために、今も働いておられます。私たち一人ひとりを罪の力から解き放ち、新しい人生へと歩ませてくださるのです。どうぞ、私たちもイエス様によって新しい人生を歩ませていただこうではないでしょうか。