
聖 句「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」(マタイ1:21)
説教題 「イエスー罪の救いの成就」
聖 書 マタイの福音書1章18~25節
説教者 栗本高仁師
この待降節「イエス・キリストがなぜこの世界に来られたのか」ということを、イエスの三つの名「キリスト」「イエス」「インマヌエル」に注目しつつ見ています。今日はそのうちの二つ目「イエス」です。
1)神様がつけられた名
「イエス」という名は一体どこから来ているのでしょうか。その次第が今日の箇所に記されています。このとき、ダビデの子孫であるヨセフ(6-16節)とマリアは婚約状態でしたが、あろうことか結婚前に、マリアは妊娠をします(18節)。通常であれば、その結婚は取りやめになりマリアは罰を受けなければならなかったでしょう。しかし、「ヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと」考えます(19節)。そのようなヨセフの苦悩の中にあって、御使いが夢に現れて、マリアを妻として迎えるようにと言います。その子は「聖霊による」誕生であったからです。そして、「その名をイエスとつけなさい」と言われるのです(21節)。
イエスという名は両親がつけたものではなく、神様ご自身が付けられた名であることがわかります。つまり、そこに神様の意図があるのです。
2)ヨシュアとのつながり
神様はどのような意図を持って、この名をつけられたのでしょうか。そのことを知るためにも、(先週同様)旧約聖書を見なければなりません。「イエス」はギリシャ語名であり、ヘブル語では「ヨシュア」となります。モーセの後継者としてイスラエルの民を約束の地に導いた「ヨシュア」と同じ名前なのです。これは単なる偶然ではありません。ここに神様の意図があるのです。
モーセの時代から見ていきましょう。モーセは、イスラエルがエジプトで奴隷にされている時に生まれ、民をエジプトから解放するためのリーダーとして選ばれた人物です。しかし、彼は最後の最後で「約束の地」に入ることができませんでした。そして、彼の後継者として選ばれたのが「ヨシュア」であり、最終的に彼が約束の地まで民を導いたのです。
この時、イスラエルの状況は、エジプトの奴隷状態と同じような状況にありました。確かに、物理的には約束の地であるイスラエルにはいましたが、ローマの支配下にあったのです。まさに、イエス様は本当の意味で約束の地へ導き出すためのリーダーとして選ばれたのです。
3)罪の救いのために
それでは、本当の意味で約束の地へ導き出すということは、どういうことなのでしょうか。それは、目に見える形でローマ帝国が滅んで、イスラエルという国が独立するということではありません。
前回「キリスト」という名に注目しました。イスラエルが世界を祝福するという使命を果たせるように、キリストは民を正しく導く王として来られたのです。イスラエルの王たちが使命を果たせなかった根本的な問題は何であったでしょうか。それは、神様のことばに聞かずに、他の神々のことばに聞くということにありました(偶像崇拝)。その根本的問題は、アダムとエバの罪にまで遡ります。彼らが、神様のことばに聞かずに、蛇のことばに聞いたのです(創世記2-3章)。ここから罪が始まり、私たち人間はその罪に支配され続けているのです。
神様はこの根本的問題をご存知でした。それゆえに、御使いを通してはっきりと言われるのです。「その名をイエスとつけなさい。この方が自分の民をその罪からお救いになるのです」(20節)と。ここに、イエスがこの世界に来られた目的、使命が表されています。イエス様は、私たちを「罪の奴隷状態」から救い出し、神様の完全なご支配が実現する「約束の地」へと導き出すために、この世界に来てくださったのです。
私たちはなおも罪に囚われていると感じるお互いでしょう。しかし、イエス様は、その罪から私たちを解放することができます。十字架の力は、私たちの罪を赦し、私たちを罪から離れさせる力があるのです。罪の救いを成就してくださったイエス様に目を向けて、このアドベントを過ごさせていただきましょう。
