
聖 句「主よ、お話しください。しもべは聞いております」(サムエル記第一3:9)
説教題 「主よお語りください」
聖 書 サムエル記第一3章1~10節
説教者 栗本高仁師
新しい2026年も、私たちは神様とともに歩みたいと願います。それでは、どのように私たちは主とともに歩めば良いでしょうか。
1)主がともにおられない現実…
サムエルがまだ少年であり、祭司エリのもとで主に仕えていた時のことです。イスラエルにとって、それは冬の時代でした。なぜなら「そのこと、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」ためです(1節)。祭司エリ・少年サムエルともに、主の臨在がある「神殿」で仕えていたのにもかかわらず、主のことばが語られない現状であったといのは、非常に皮肉です。まさに、主がともにおられるというリアリティが失われていたのです。その原因は、実は祭司エリにありました。彼の息子たちは、主の神殿で仕える祭司でありながら、よこしまで、主へのささげ物を軽んじていたのです(2:12-17)。しかし、エリはそれを放置していたのです(2:29)。
このところから示されることは、形式的に礼拝がささげられていても、主とともに歩めないことがあり得るということです。形式は重要なことですが、私たちがそれとともに大切にしなければならないことがあるのです。
2)主の声を聞こうとする
それでは私たちは何を大切にする必要があるのでしょうか。
この現実の中で、神様はサムエルに語りかけます。すでにエリは目が見えなくなってきていたため、サムエルが神の箱のある神殿の番をしていた時、主はサムエルを呼びます(2-4節)。しかし、彼はエリが呼んでいると思い彼のところに向かいます。当然エリは「呼んでいない」ためサムエルを返します(5節)。そのようなことが3度繰り返され、ようやくエリは「主が少年を呼んでおられるということを悟」ります(6-8節)。そして、エリはサムエルに次に名を呼ばれたら「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と答えるように命じます(9節)。そして、4度目にサムエルはエリの言う通りに応答し、初めてサムエルは主のことばを聞くことができたのです。
ところで、なぜサムエルは主の声がわからなかったのでしょうか。それは、彼が主の語りかけを聞いた経験がなかったからです(7節)。それゆえに、主の語りかけを、主の声として聞くことができなかったのです。主は私たちの名をも呼んでおられます。しかし、私たちもそれを主の声として聞いていないことがあるかもしれません。私たちが主とともに歩むために大切なことは、主のことばを聞こうとすることではないでしょうか。私たちも、聖書のことばを聞く前に「主よお語りください」と祈りつつ、「主のことば」として聞かせていただきたいのです。
3)主が語られることを聞く
サムエルは初めて主のことばを聞くことができました。しかし、そのことばは決して心地の良いものではありません。主は「エリ…の家を永遠にさばく」ことを告げます(13節)。当然、サムエルはこのことを「エリに知らせるのを恐れ」ます(15節)。それは人間的に考えれば当然のことでしょう。
私たちは「主のことば」を聞くとはどういうことなのかを教えられます。それはまさに「主よ、お話ください。しもべは聞いております」(9節)に表されています。語るのは「主」であり、聞くのは「私たち」なのです。つまり、「私たちが聞きたいこと」を聞くのではなく、「主が語られたいこと」を聞くということなのです。私たちは主のことばを本当に聞いているかと問われます。
エリには確かに問われるべき咎がありました。しかし、彼は最後に本当の意味で主のことばを聞きます。彼はサムエルに隠してはならないと言うのです。そして、エリは最後に「主が御目にかなうことをなさるように」(18節)と告白し、主のことばを受け入れたのです。その結果、サムエルを通して、イスラエルにもう一度、主のことばが語られるようになり、主の臨在が回復するようになったのです(19-21節)。痛みを伴いながらも、主のことばを聞く時に、必ず回復が与えられる希望があるのです。
迎えた2026年、私たちも「主よお語りください」という心をもって、聖書のことばを聞き、主とともに歩ませていただきましょう。
