11節。「一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。」とあります。マグダラのマリアはかつて、イエス様から7つの悪霊を追い出して頂き、救っていただいた経験をもっている女性です(ルカ8・2)。イエス様の救いを目には見えない、霊で体験した人です。大きな恩を感じ、イエス様を尊敬し愛していました。しかし、イエス様が十字架につけられて殺されてしまいました。そして墓に葬られたのです。何もできなかったマリア。せめて、イエス様のご遺体を丁重に葬らせて頂きたいと思い、イエス様のお墓に駆け付けます(20・1、ルカ23・55~24・1)。それほどイエス様を愛していたのです。しかし、墓に行ったのですが、墓を封印していた入り口の石が取り除けてありました(1)。ルカ24・1~12(8・1~3も参照)を見ると、マグダラのマリアが主イエスの復活の約束を聞いていた事がわかります。しかし、イエス様の葬りの準備をして墓に来ていました(ルカ24・1)。しかし、空の墓を目撃し(ルカ24・3)、天使に出会い(ルカ24・4)、天使を通して主の復活を告げられ、主の復活の約束を思い出させてもらいました(24・5~8)。他の弟子に報告しますが信じません(ルカ24・9~11)。ペテロやヨハネも確認したのですが墓は空っぽでした。弟子たちは不思議に思いながらも帰っていきました(ルカ24・12、ヨハネ20・1~8。9,10も参照)。
しかし、マリアは墓のそばで泣きながら立ち尽くしていました。せめて、命の恩人で愛するイエス様のご遺体にお会いしたい、という切実な思い。しかし、ご遺体がない。途方に暮れ、やり場のない悲しみを抱えながら泣いていたのです。
そして、泣きながら、イエス様が葬られていた、墓の中の穴を身をかがめて覗き込んだのです。当時は土葬ですので、墓穴は大きく、横穴式でした。その墓穴を覗き込むと、なんと、真っ白な天使が二人座っているのが見えました(2)。一人は、イエス様のご遺体が横たわっていたところの頭の近く、もう一人は足の近くに座っていたのです。天使たちはマリアに言いました。「女の方、なぜ泣いているのですか。」(13)。マリアは泣きながら、言います。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」(13)。
彼女はこう言ってから、うしろを振り向いて泣きました。すると、なんと、「イエスが立っておられるのを見」ました!天使が、「女の方、なぜ泣いているのですか。」(13)と言ったように、彼女は泣く必要はありませんでした!しかし、「それがイエスであることが分からなかった」のです。そしてマリアは泣いていました。それほど、彼女の目撃したイエス様の十字架の死は決定的な死だった事もあったのでしょう(ルカ23・49、55)。また、復活されたイエス様は、復活のからだである栄光のお姿でした。三日前の金曜日の十字架の死の姿とのギャップが相当大きかったのでしょう。また悲しみの涙で目が曇っていたかもしれません。または、ルカ24・9~11(参照;ルカ18・33)の他の人の不信仰の影響で彼女もまた主イエスの復活についての主のみ言葉への信仰が弱くなっていたのかもしれません。彼女は共におられる復活のイエス様に気づきません。
そんな彼女に、今度はイエス様ご自身が語り掛けます。15節。「イエスは彼女に言われた。『なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。』」。イエス様は、泣く必要はないよ、私は復活してあなたと共に、ここにいるよ、とご自身をお示しになられました。しかし彼女はイエス様を園の管理人だと思って言います。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」。そして再び彼女はイエス様に背を向けて墓穴の方を向き泣き始めるのです。彼女は復活の主イエス様と話しながら、イエス様のご遺体を捜し求めていたのです。それが今の彼女の信仰状態でとらえられる、「私の主」(13)でした。しかし、イエス様のご遺体が墓にあるはずがありません!主も、天使たちも語った様に、主イエス様は復活してよみがえられたからです!空の墓はむしろイエス様の体の復活の当然の結果であり、その証拠だったのです!
イエス様はそんな彼女に言われます。「マリア。」。彼女はイエス様の方を振り向いて、ヘブル語で、「『ラボニ』、すなわち『先生』。」とイエス様に言いました。彼女はイエス様ご自身の呼びかけで気付きました。復活のイエス様は、共に、そばに、いて下さっていたのです。私達も、どんなにイエス様を愛し慕っていても、イエス様とそのみ言葉への信仰が抜けている時、主を見失い、同じように、不要な恐れや悲しみに沈んでしまい、神様の栄光を表せなくなってしまいます。主と主のみ言葉に心を向けて、信じて、主イエス様への信仰の目を上げ続けましょう。
【祈り】主よ。復活の主とそのみ言葉を信じて、歩ませて下さい。アーメン。
