今朝もイースターの出来事、復活の主イエス様と弟子たちについて見ましょう。
1.後に教会のリーダーとなった、失敗者ペテロ(21・1~14)
ペテロは主イエス様に弟子としてついていく中である時、気づきます。イエス様は主なる神だと(ルカ5・1~11)。それ以来、彼はイエス様に従って行くようになりました。そして、ある時、ペテロはイエス様に大胆に言っています。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。」(マタイ19・27)。そしてペテロはイエス様と一緒に死ななければならないとしても、イエス様を知らないなどとは決して言わないと言いました(マタイ26・35)。
しかし、イエス様の裁判の時、イエス様と仲間だったと問い詰められ、ついにイエス様の事を「知らない」と三度も誓って言ってしまいました(マタイ26・69~75)。後にキリスト教会のリーダーとなるペテロでしたが、大失敗の経験者でした。しかし、それはイエス様が事前に、ペテロに、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエス様が言ったとおりでした。イエス様はペテロ自身よりも、ペテロをご存知で、その全てをお見通しだったのです。
ヨハネの福音書は20章で完結しても、違和感は感じないと思いますが、しかし、神様は、あえて21章を記す様に導かれました。21章では、特に失敗者ペテロのために、復活の主イエス様が現れた時の事が記されています(マルコ16・7)。そして主イエスは弟子達との食事(1~14)の後、ペテロに語られました。
2.失敗したペテロを見捨てずに、立ち上がらせた復活の主イエス (15~19)
15節。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」。他の弟子達よりも大きな愛でイエス様を愛し続けるか、という問いかけです。しかしペテロはイエス様を三度も知らないと否んでしまいました。ペテロはそれらを踏まえて、言いました。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」。すると、イエス様は言いました。「わたしの子羊を飼いなさい。」。もう一度、イエス様はペテロに言いました。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」(16)。ペテロは答えます。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」。イエス様は彼に言いました。「わたしの羊を牧しなさい。」。三度目にイエス様はペテロに言いました。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」(17)。ペテロはイエス様から三度目に「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので悲しくなってイエス様に言いました。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」。
ペテロは過去にイエス様を愛し通せない時がありました。今後、将来、イエス様を愛しますとも言いづらい、不確かな自分。その事を正直に認めつつも、しかし今、この時、自分なりの至らない愛だけれども、イエス様を愛している、ということを、ありのままの自分で告白したのです。今のペテロにとって精一杯の告白でした。しかしイエス様はそのペテロの精一杯の愛の告白を受け入れて下さいました。そして「わたしの羊を飼いなさい。」と新たな使命を与えて下さいました。イエス様に赦されたその愛をもって、信仰の兄弟姉妹を愛する使命です。
イエス様は私たちにもいつもイエス様との愛の関係、信頼関係の中にいるように導いて下さいます。たとい私たちが失敗して罪を犯してしまったような時であっても、イエス様はそれでも決して見捨てずに、最高に、完全に、忍耐深く愛し続けて、あきらめずに悔い改めに導かれます。悔い改めて神に立ち帰り、十字架のイエス様を信じて、イエス様に戻って来る人を赦し受け入れて、罪をきよめて、愛の関係を回復して下さいます。そして、主の尊い使命を与えて下さいます。
その後、ペテロは主イエスと教会を愛してその生涯を全うします。それは彼自身の生来の力や愛ではなく、父なる神様と主イエス様とから来る聖霊なる神の愛と力でした。「わたしに従いなさい」(19、22)と主イエスは言われます。復活の主イエスが共にいて支えて下さるから主イエスに従えます。ペテロも使徒達もイエス様に愛され担われ導かれ、死を超えて天国に行きました。それは自分の力ではなく共におられる復活のイエス様によります。共にいて守り導き、支えて救って下さる(イザ46・4)、復活の主イエスに私たちも常に信仰の目を上げて信頼し明け渡し委ねつつ従い、主のお働きを共にさせて頂きましょう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12・2)。大牧者なる主イエス様が常に私たちを守り導かれます(詩篇23篇)。
(祈り)復活の主イエス様。失敗多き私を憐れみ、救って下さり感謝致します。
