船橋栄光教会の皆様、おはようございます。既に5月半ばとなっていますが、2026年度に示されてきました教団聖句イザヤ43:20・21の箇所から語ります。日本のキリスト教会は厳しい中に置かれていますが、新しい業をなしてくださる神様に、大いに期待して歩みましょう。

Ⅰ.過去の恵み

16・17節には「海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、戦車と馬、強力な軍勢を引き出した主はこう言われる。「彼らはみな倒れて起き上がれず、灯芯のように消え失せる。」とあります。出エジプト記14章は、迫って来るエジプトの王ファラオの軍勢からイスラエルの民が救われたできごとが出てきます。神様は海を2つに分けられ、イスラエルの民は乾いた海底を全員渡ることができました。しかし、エジプトのファラオの軍勢は、途中で海が元通りになって、波にのまれてしまい全滅しました。

これ程に神様の大きな奇跡、鮮やかな勝利は、旧約聖書でもなかなか見られません。イスラエルの民にとって、神様の偉大さを記念する恵みの体験となりました。イスラエルの歴史を通して、神様は度々大きな奇跡を起こされ、イスラエルの民の信仰は奇跡を基にしたものになりました。コリント第一1:22には「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。」とあります。イスラエルの民は目に見える奇跡がなければ信じないという、いびつな信仰になってしまいました。

私たちの信仰は何に拠って立っているのでしょうか。目に見える奇跡の経験がなかったとしても、私たち一人一人がイエス様の十字架のあがないを通して、信仰による救いをいただきました。私たちが神様の救いに与り、神様の愛に生かされているのが何よりの奇跡です。私は、神様に救われて当然と思う人はおられないでしょう。罪を赦していただき、滅びから命に移されたことは神様の大いなる愛の業なのです。奇跡を起こしてくださった神様への感謝が私たちの基盤にあります。

Ⅱ.私たちの救いの感謝

私たち一人一人が、奇跡的な業によっていただいている救いの恵みを見ていきましょう。19・20節には「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」とあります。

荒野、荒れ地には人は住めません。動物さえもまれです。水はなく、大地は乾ききり、命は乏しいのです。神様はそこに道を設けられ、川を流れさせてくださいます。実は、この光景は私たちの心に当てはまります。皆さんは、資質も能力もすばらしいものをお持ちですが、神様と出会う以前の心、イエス様を信じる前のご自分の内面を考えてみましょう。荒野のように乾いていなかったでしょうか。命が宿る豊かさはあったでしょうか。荒野、荒れ地と言わなくとも、乾きや乏しさを感じて、誰もが、心と魂に潤いや、豊かさを求めていたのではないでしょうか。

イエス様は私たちに語られています「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)。また、「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネ10:10)と言われました。イエス様は私たちに、いのちの水を豊かに与えてくださり、神様の命に満たしてくださいました。

イエス様の救いによって、私たちの内にあった荒野、荒れ地は潤され、豊かにされました。神様の祝福に与ることができ、神様の豊かさに生かされていることは感謝以外にはありません。

Ⅲ.多くの人が救われる希望

神様の救いの恵みに与った私たちを、神様は「わたしの民」「わたしの選んだもの」(20節)、「わたしのためにわたしが形造ったこの民」(21節)と、特別なものとして認めてくださっています。「わたしの栄誉を宣べ伝える。」(21節)と、私たちを神様の栄光の証人であるとまで言われています。

神様の救いの恵みに与っている私たちにこのように神様は語りかけられておられます「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」(コリント第二4:16~18)。

私たち一人一人は、時に押しつぶされそうになりながら、苦闘を覚えて日々を過ごしています。それは、私たちを取り巻く乾いた荒野、命のない荒れ地と言えます。私たちにとって大きなプレッシャー、ストレスがありますが、それは、一時の軽い苦難ですと神様は語られています。神様は「大丈夫、気にしなくて良い」と気休めを言われるのではありません。私たちの痛みも苦しみも、神様にある永遠の視点から見るならば、やがていただく栄光の大きさ、豊かさに比べてはるかに小さいとおっしゃっています。

船橋栄光教会が設立したのが1994年1月で32年を過ぎました。西船橋駅の北側にあった最初のマンションの1階を覚えています。南側のテナントビルに移って記念式に出席しました。先生方の移り変わりがあり、大神宮下に移ってきました。さまざまなことがらも思い起こしますが、神様が導かれたのは一筋の道です(イザヤ35章参照、「そこに大路があり、その道は『聖なる道』と呼ばれる。」(35:8))。過去の聖徒たちも皆、永遠の神様を見上げ、希望を抱いて歩み続けていきました。私たちも永遠につながっているものとして、新しいことを行うと言われる神様から、力と勇気をいただきながら共に歩みましょう。今の困難から、どんな神様の新しい業が起こされていくでしょうか。是非とも見させていただきたいと祈っています。