聖 句 「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。     それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」(エペソ2:8)

 ここまで、①1章1~14節では主の祝福と主への賛美について、②15~23節では第一に祈りと聖霊について、第二にキリストと教会の関係について見ました。今朝はそれらを踏まえつつ、罪びとである人間と、その罪びとたちに注がれる続ける神様の絶大な恵みについて見ます。

1.キリストなき人間の罪に死んだ姿(1~3)

 使徒パウロはずばり申します。1~3節。「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(1~3)。悲しいですが、これが神様から見たキリストなき人間の真相です。

それらの原因は人間に「罪」があるという現実です。ここでは「背きと罪」とありますがギリシャ語では「パラプトーマ」(外に現れた悪行)と「ハマルティア」(内なる悪心・悪い性質)です。使徒パウロは「あなたがた」も「私たち」も皆、罪びと、と示します。さらには「空中の権威を持つ支配者」、「不従順の子らの中に今も働いている霊」、すなわち悪魔、悪霊が存在し、人間を誘惑し圧迫します。自分の内にも、人間関係の中にも、さらには霊においても、罪と悪、唯一真の神様に逆らうものが存在しているのです。

聖書のローマ人への手紙3章23節には「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」とあります。私たち誰一人、この罪を犯さないで生きてきた者ではないという事です。最初の人間アダムとエバが、悪魔の誘惑に乗ってしまい神に逆らい、悪魔に従って罪を犯した結果、人は死ぬようになりました。残念ながら、それ以来、この人間の世界には罪が蔓延し、罪の影響があります。

2.罪人に注がれ続ける絶大な神様の恵み(4~10)

1~3節のするどい指摘は、4節から神様の絶大な恵みを示すためでした。「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」(4~5)。救い主イエス・キリストと信仰によって結び合される時、罪赦され、義と認められ、罪の奴隷であった自分はキリストと共に死に、キリストと共によみがえった新しい自分とされて、神の子の立場が与えられて、キリストにあって生きるのです。「神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。」(6)。この事は先週見ました、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた「神の大能の力」(1・19)によるのです。神様の驚くべき恵みと力です。「それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。」(2・7)。ただ神の恵みによって、ただイエス様を信じる信仰により救われたのですから、救いについて誰も自分を誇る事はできません(2・8~9)。「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」。なぜ、そこまでして神は人を救われるのでしょうか?それは私たち人間が、神様が愛してお造りになった、「神の作品」だからです。10節。「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」。

(結論)私たちは、ただ神様の絶大な救いの恵みを信じて受け取る事によってイエス・キリストにある救いと命とにあずかっています。イエス様を信じる者たちである教会は、この神様の恵み、キリストにある命によって生かされているのです。

(祈り)天の父なる神様。罪の中に死んでいた者が、イエス様を信じて、イエス様と共によみがえり、生かされている恵みを感謝します。イエス様によって、アーメン。