聖 句 「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」(ルカの福音書15:20)

今日は父の日です。キリスト教会から世界中に広まったそうです。さて、聖書では全人類を創造された保護者である、父なる神様について教えています。

1.イエス様のたとえ話(15・1~10)

ある時、「罪人」と呼ばれて嫌われている人たちがイエス様の話を聞きにきました。イエス様は彼らを受け入れ一緒に食事をしました。当時のユダヤ教の宗教指導者たちは、イエス様のこの行動を非難しつぶやきます(1~2)。そこでイエス様がなさったたとえ話(3)がこの聖書箇所で、「二人の兄弟とその父親」のたとえ話です(11~32)。このたとえ話を元にして、レンブラントにより、「放蕩息子の帰還」(【参考】ウィキペデイア『放蕩息子の帰還 (レンブラント)』)という有名な絵画も描かれました。次のようなたとえ話です。

2.放蕩息子とその父親のたとえ話(11~24)

ある人に二人の息子がいました(11)。弟息子は自分の相続財産分を父の生存中に父に要求します。父親は財産を二人に分け与えます(12)。しかし弟息子は父親の財産を換金して遠い外国に出て行きます(13)。しかし、そこで財産を湯水のように使い果たして死にそうになるのです(13~16)。その時、この人は幸いにも本心に立ち帰りました。17~19節。「…彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』…」。彼はこのように決心して父の所に帰ります(20)。

すると何と父親がその息子を目がけて走り寄ります。しかし父親は怒るどころか、彼をかわいそうに思って抱きしめ、その首に口づけ(中東の愛情表現)するのです(20)。弟息子は父に言おうと思っていた事を父に言います。21節。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』。そして、息子が雇い人の一人にしてください。」と言おうとしたその時!父親は僕たちに言いつけます(22~24)。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』。その言葉の通り父親は急いで息子を自分の息子にふさわしく装うのです。そして息子の帰りを心から喜んで、特別な最高のごちそうをもって祝宴をします(24)。

実はこの父親の姿は、私たち人間をお造りになられた創造主なる唯一まことの父なる神様の愛を表しています。父なる神様はいつも、あなたの思いや人の評価を超えて、あなたを愛しておられます。そしてこの放蕩息子のように、自分の罪を認めて、父なる神様に心を向けて、主イエス様を信じて、父なる神に立ち帰る(悔い改める)人は、イエス・キリストの十字架での身代わりの死の効力のゆえに、神の赦しを頂き、神の義という「一番良い衣」(22)を着せて頂き、覆って頂けるのです(ローマ4・23~5・2)。それはキリストの身代わりの死という、神の独り子のいのちの支払われた「義の衣」です。そこまでされる程、父なる神は全ての人を、そして、あなたを愛して大切にして下さっています。完全な神の前には全ての人は罪びとですが、一人の罪びとが悔い改めて、救い主イエス・キリストを信じて、父なる神のところに帰ってきたら、父なる神様は大喜びです。父なる神様は全ての人が神に立ち帰って来る事を心待ちにしておられます。そして父なる神様のみもとに帰る一本道は唯一の救い主イエス・キリスト様です(ヨハネ14・6)。父なる神様のみもとにこそ、人の本来あるべきところがあるのです。

【祈り】天の父なる神様。あなたは私という存在を常に最高に愛し続けて下さっている事を感謝致します。そして、あなたの独り子、救い主イエス・キリスト様をお遣わし下さり感謝致します。救い主イエス様を信じます。アーメン。