聖 句 「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」(詩篇119篇71節)

1.今日の聖書箇所の背景

今から約3700年前、ヨセフは父ヤコブとカナンの地に住んでいました(37・1)。ヨセフは父ヤコブの12人の息子達の11番目です。ヤコブは兄弟の中で一番ヨセフをかわいがっていました。兄たちはヨセフをねたみ憎み、ヨセフを殺そうと計画します。けれども長男のルベンが殺してはいけないというので、兄たちはヨセフを捕まえて穴に投げ込みました。そしてユダという兄の提案により弟のヨセフを奴隷商人に売ったのです。ヨセフ17歳の時の出来事でした。

2.苦難の中でも共にいて下さる主なる神(創世記39・1~6)

一方、奴隷となってエジプトに連れて来られたヨセフ。ヨセフはポティファルというエジプト人に売られます(39・1)。父の許での何不自由のない幸せな生活から一転して今まで経験した事のないエジプトで奴隷とされたヨセフしかし2節。原語では冒頭に「しかし」が入ります。(しかし)「主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ」。さらに3節。「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。」。主が共にいたからヨセフは幸運な人、成功する人となりました。そして4節。「それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた」。さらに5節。「主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が、家や野にある全財産の上にあった」。ヨセフと共に神がおられ、主がヨセフのゆえにこのエジプト人の家を祝福されたのです。

ですので、このエジプト人はヨセフを信頼します。6節。「主人はヨセフの手に全財産を任せ、自分が食べる食物のこと以外は、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった」。ヨセフは体格も良く美男子であった、とあります。ですからその後、悪い誘惑もありましたが、知恵深く対応し、誘惑に乗らなかったのです。神の御前にヨセフは生き、主人に真実に仕えたため誘惑に乗りませんでした。しかし主人の妻は嘘を言って、ヨセフがいたずらをしてきたと言います。そしてヨセフは濡れ衣を着せられ、監獄に入れられ、囚人となります。しかし聖書にはヨセフが神を呪ったとか人を呪ったとか書いていません。

ヨセフはイエス・キリストの型とも言われます。イエス様も何も悪いことをしていないのに、すべての人の罪を背負って十字架で身代わりに死にました。何も恨みも呪いもしません。むしろ、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23・34)と、とりなし祈られたのです。イエス様こそ救い主キリストです。

どん底に突き落とされても主はヨセフと共におられました。39章20~21節。「ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた」そして、神様が共にいてヨセフに恵みを注ぎ、監獄の長の目によく見えるようにして下さったのです。そしてヨセフは監獄の長から信頼され監獄の管理をするようになります。そして23節。「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼と共におられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである」。ここでも主が共におられ、主がヨセフを成功させるのです。

この後ヨセフは囚人として連れてこられた高官の献酌官長の夢を解き明かし、その通りになり囚人は釈放されます。ヨセフは彼に「あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。」(創世記40章14)と願いますが忘れられてしまいます。苦難の連続。ヨセフはこの苦難の時を通して鍛えられます(詩篇105・16~19、ヤコブ1・2~4参照)。それは後にエジプトの総理大臣として神に用いられるためでした。そして人々を飢饉から救い家族を救うためだったのです。たとい人があなたを見捨て、忘れても、主なる神様は主を信じる者と共にいて祝福し守り導き養い訓練されます(詩篇119篇71節)。

(祈り) 父なる神様。不幸と思える状況でも、あなたに信頼する者と共にあなたはいて下さり感謝します。どんな時もあなたに信頼し従えますように。アーメン。