金 言
「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。」

説教題 「思い出し、喜びなさい」
聖 書 イザヤ書51章1~3節
説教者 宇田川純一兄

<義を追い求める者、主を尋ね求める者>

 クリスチャンのあるべき姿を表しています。
 北王国イスラエルの人々は先に不義の為に、アッシリアに滅ぼされました。イザヤはやがて南王国ユダもバビロンに捕らわれることを予言しています。その罪悪を捨てて神を求めるようにと奨励された。これは全力を注いで主なるあなたの神を尋ね求める事です。しかしユダの人々はバールやアシュタロテなどの神々を拝み、その結果バビロンに捕囚されることになります。だが70年の年月を経てユダの人々は祖国に帰ることが許されると予言されています。神様の恵みです。
 私たちはどうでしょうか。残念ながら財産、名誉、地位、快楽に心を奪われてしまうのが現実です。例話:タレントで元Tokioの山口達也さん。私達はとかく財産、名誉、地位、快楽に心を奪われてしまいます。そして何度も同じような過ちを犯してしまう者です。でもクリスチャンは違います。同じ罪人ではあるが、向いている方向が違うのです。義なる神様を尋ね求めているからです。

<祝福を振り返って感謝>

 「切り出された岩」とはイスラエル民族の先祖アブラハムを指し、「掘り出された穴」とは、その妻サラの事をさしています。当時アブラム達はさすらいの一アラム人でどこにでもいる普通の遊牧民でした。しかし神の約束の御手(聖霊息)が注がれるとアブラムがアブラハムとなります。ヤハは神の意味。大国民の祖父へと変えられました。90歳のサラにも子供イサクが与えられ祝福が注がれます。
 例話:世田谷央教会会員の今中相義(すけよし)兄はギデオン会員でもあり私も親しくさせていた信仰の大先輩でもありました。
 今中さんは第二次世界大戦中ビルマ(今のミャンマー)に日本軍の将校として侵攻。「ビルマの竪琴」の映画に出てくるあの戦地で、捕虜を過酷な労役に服させる悪名高いタイ・ビルマ連接鉄道工事を指揮しました。そこでは千人を率いる鬼の部隊長であったようでした。
 戦後、戦犯者として現地刑務所に1年収容されました。過酷な収容生活の中からあらゆる世の権威、心の拠り所としていたものが音を立てて崩れていくのを実感されました。その収容所を出るときに振り返ってみた獄の入り口が、大きな岩穴のように暗く深く見えたそうです。「あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。」の言葉が後日クリスチャンに成ってから示されたそうです。

<まとめ>

 私たち一人一人の心に、また生涯にあてはめて、「切り出された岩」「掘り出された穴」とは何でしょうか。それは神を知る前の私たちの古い生活です。「神なく、望みなくさまよいし我も・・」罪の奴隷であった救われる前の自分がいます。そこから神様によって私たちは切り出され掘り出されたのです。この岩は神様によって加工し磨いて目的に合った高価な使い方をされます。この土は神様である陶器士の手によって練られ、火で焼かれて高価な器へと変えられます。これが私達なのです。なんと素晴らしい神様の恵みでしょうか。魂は救われて幸いだと思いますが、でも若い時はもっと健康で元気であった。年を取って足が痛い、腰が痛い、体力が無くなったと嘆くこともあるでしょう。パラリンピックの選手を見たことと思います。足が無くても、目が見えなくても彼らは輝くことが出来ました。私たちにとってたとえ肉体的困難があったとしても神様は逃れる道を用意下さり感謝する時が必ずあるのです。
 例話:田原米子さんは母を亡くし生きることのむなしさから、18歳の時、電車に飛び込み自殺を図りました。
 例話:自分自身の小学2年生の時の経験。こんな恥ずかしい者が今教会の講壇に立つなんて。神様の奇跡です。こんな私、高校2年生の時決心して洗礼を受けました。神様は罪の泥沼にいた私を選んで助けてくださった。その時が私の切り出された岩だったと思うと本当に神様に感謝します。
 「有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無きに等しいものをあえて選ばれたのである。」1コリント1-28 
 「主は人には捨てられたが、神には選ばれた尊い生ける石です。」1ペテロ2-4  私たちは高慢になるのではなく、むしろ感謝と喜びの人生を共に歩もうではありませんか。