金 言
「この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」(ハバクク2:3)

説教題 「神の時を待つ」
聖 書 ハバクク1:1~11、2:1~4
説教者 矢島志朗勧士

 コロナ禍で2年近くの年月が経ち、2021年末を迎えた。神の恵み、憐れみによって生かされている感謝を覚えつつも、もがくこと、叫びたくなるようなことも時にはあったであろう。聖書の中に、神様に向かって叫ぶ祈りの姿を多く見るこができる。北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアがバビロンによって滅ぼされ、そのバビロンによって南のユダ王国が攻撃されようとしている時期(紀元前7世紀末)に活動した預言者ハバククの祈りもそうであった。ハバククの祈り、そして神様とのやりとりから、神の時を待つことについて教えられていきたい。

1.主よ、いつまでですか

 ハバクク書は預言書でありながら、まずハバクク自身の神様への叫びから始まっている(1:1~4)。訴えたのは、ユダの民の腐敗が放置されている状況である。暴行や暴虐、争いが止まずにいる。また、神の律法がまったく機能しなくなり、さばきが正しく行われていない状況である。ハバククは主に叫び求めた。なぜこのような状態を放置されているのか、いつまでこのようなことが続くのか。

2.神のご計画

 神様の答えがあった。カルデヤ人(バビロン)を用いて、ユダを裁くという計画である(1:5~11)。凶暴で俊敏なバビロンが、自分の力を神とするような彼らが、ユダを攻めるというのである。これも、ハバククとしてはとても納得できない内容である。悪しき者が自分より正しい者を呑み込もうとしている様(1:13後半)を眺めて、なぜ黙っているのかという激しい訴えをしている。人の目にはすぐには理解できないことを、神様がされているのである。

3.神の時を待つ

 ハバククは忍耐を持って、神様の答えを待った(2:1)。神様は将来の幻について語り、答えてくださった。神様の時が遅くなっても待つように、必ず来ると語られた(2:3)。そして、「正しい人はその信仰によって生きる」との言葉が語られた(2:4)。これは、新約聖書でも引用される有名な言葉である(ロマ1:17、ガラテヤ3:11、ヘブル10:38)。「信仰」という言葉は「誠実、真実、忠信」とも訳され、その本質には「揺るがないこと」との意味がある。揺るがずに神に信頼する者は生きる。しばらくは理不尽に思うことしか起こらないように見える。しかし信頼をするようにと主は語られた。ユダ王国の裁きのために用いられたバビロンもやがては滅ぼされるという計画を、神様はハバククに教えてくださった。2章ではその裁きについて懇ろに記されている。神様のご計画を知らされたハバククは、「攻めてくる民に臨む苦しみの日を、私は静かに待ちます。」(3:16)、「私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。」(3:18)と語る。納得がいかずに叫んでいた者が、神様の義が貫かれ、正しいさばきなされるご計画を教えていただき、平安と喜び、希望を得たのであった。そして、その時が来ることを待つことができる者となったのであった。

4.神に信頼して

 ハバククの歩みから教えられたい。1年を振り返って思いめぐらせば、喜ばしいことや励まされることもあったが、苦しみや痛み、不安に覚えること、納得しがたいこともあったかもしれない。しかし、神様は真実な方である。先週に祝った主の御降誕、そして主の地上でのご生涯、十字架と復活は、神様が信頼に値する方であることの最大の根拠である。そして主はやがて再び来られて悪を滅ぼし、神様の救いの計画は完成をする(黙21:1~4)。
 私たちはすべては分からなくても、礼拝において、また日々祈り、みことばに触れる中で与えられる平安、喜びを通じて、ご計画の中に生かされていることを知ることができる。兄弟姉妹の交わり、日々起こる出来事の中に神様の臨在、希望を見出すことができる。それらは常に与えられている。「主よ、どうしてですか、いつまでですか」と叫びたくなるような悲劇や痛みは確かに存在する。しかしその只中でも私たちは神様の時を待ち、最善の導きに信頼を寄せながら、来るべき時に必ず主の真実があらわされることに希望を持ちながら、今日を生きていく事ができる。
 1年間、神様が真実に導いてくださったことに感謝をし、また来るべき年の導きにも期待をして、励まし合ってともに歩んでいきたい。

(問1)ハバククは、どのような祈りをささげていますか(1:1-4)。
(問2)神様からの答えはどのようなものでしたか(1:5-11、2:1-4)。
(問3)「正しい人はその信仰によって生きる」」という言葉を、どう受け止めますか。