金 言 「わたしは一つのことを主に願った。それを私は求めている。私はいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。」詩編27編4節
説教題 「ただ一つの願い」
聖 書 詩編27編4~6節
説教者 井上賛子師
1.ダビデについて
ダビデはイスラエルにおいて最も偉大な王であり、戦士であると同時に、詩人、音楽家でもある。それ以上に、素晴らしいのは、主を求める真の礼拝者の姿にある。聖書にはダビデが人生を通して、罪との戦いがあったことを記している。ダビデが愛されるのは、自分の罪と他の人の罪とに、苦闘しながらも主を求めたところにある。この27編は、サウル王に追われていた頃に、読まれた詩であろう。ダビデはサウル王に命をねらわれたが、恐れと苦難に屈しなかったのは、27編1節にあるように、主が「救い」「いのちの砦」となってくださったからである。主にあるなら「恐れ」から解放される。
2.一つのこと、主の家に住む
①「一つのこと」(One thing) 第一のこと、最も優先すべきこと、そうするならば、他のことが正しく有益に機能していくものである。ダビデは「それを私は求めている。」(27:4)と言う。強い意志がある。cf.マタイ6章33節。ダビデは、詩篇86篇11節で、「私の心を一つにしてください」と意識的に祈っている。「一筋の心をわたしにお与えください」(新共同訳)。心のすべて主に集中させ、主を信頼する心をお与えください、というのがダビデの祈りである。
②主の家に住む ダビデの最大の願いは、命のある限り主の家に住むこと。困難や問題が解決されること、苦しみや悲しみが取り去られることではなく、目の前の敵がいなくなることでもない。ダビデは自分の思いを越えて、主なる神との交わりだけを求めて、「主の家に住む」ことだけを願っている。涙があっても、悩みがあっても、つらくても、主の家に住んで、主との交わりの中に」身を置きたいと願ったのである。
3.主の家とは
ダビデの時代、主の家とはテント作りの幕屋であった。そこは主なる神様が臨んでくださり、イスラエルの民と出会ってくださった。新約の時代、信仰者の群れである教会が神様の神殿である。神様は、教会の礼拝に親しく臨んでくださり、私たちと出会ってくださる。
cf.詩編84編。主を礼拝する場所を慕い、礼拝する幸いを歌っている。「主の家に住むこと」がいかに重要で優先すべきことか、そして、すばらしいものであるかを彼は知っていた。ダビデにとって「臨在こそ、わがすべて」であった。
4.主の家に住む目的
①「主の麗しさを仰ぎ見る」ためである。主のすばらしさ、美しさを一心に思うことを意味する。豊かな信仰生活を生きようとするならば、この「麗しさ」は必要である。「麗しさ」を経験することは、私たちの心を豊かにし、主と共なる人生を楽しむ力となる。御言葉の世界の中で、主の「麗しさ」を味わうための習慣を身につけていきたい。そこにはそれまで味わったことのない霊的な喜びの世界がある。
②「主の宮で、思いにふける」ためである。口語訳「尋ねきわめる」、新共同訳「朝を迎える」。主の御顔を見つめ、主のことを熟考しながら、黙想すし連想する。この世において勝利するため。主の家で力と確信を与えられ、新たな上からの力に満たされるための黙想、瞑想である。
5.「主の家に住まいます」詩編23:6
ダビデが求めていたのは、「主の家」という建物でも、場所でもなく、主の臨在であり、主と共に過すことである。主との親しい交わりを求めた。「永遠の住まい」のことも意味している。ダビデは、この地上で主の臨在の中で、主と交わる幸いを感じつつ、さらに天上の家における主との交わりの幸いを待ち望んでいたのである。主を愛し、慕い求め、信頼し、いつまでも、「主家に住まいます」と告白させていただこう。