聖 句「そして彼女に、『あなたの罪は赦されています』と言われた。」
(ルカ7:47)

説教題 「神の国で起こる逆転」
聖 書 ルカの福音書7章36~50節
説教者 栗本高仁師

 バプテスマのヨハネとイエス様の関係が明かされ、すでに真の王(メシア)の到来により、神の国は始まっていることが語られました。しかし、それを受け入れる者たちと、拒む者たちがいたのです(7:29-30)。まさにその対照をなす二人の人物がここに登場します。

1)パリサイ人と罪深い女

 一人は「パリサイ人」です。今日の物語は、彼がイエス様を食事に招くところから始まります(36節)。そして、もう一人は「罪深い女」です。彼女は、イエス様がそのパリサイ人の家で食事をしていることを知り、イエスのもとにやって来ます(37節)。彼女は大胆にも、イエスの足もとに近寄り、涙で足をぬらし、髪でぬぐい、足に口づけをし香油を塗ります(38節)
 この行為を見たパリサイ人は「この女は罪深い」と心の中でつぶやきます(39節)。おそらくこの女性が罪人であったことは町の中で知られていたのでしょう。そのような罪深い彼女の「この行為」は許されることではないと見ていたのです。なぜなら、罪人と接触することは律法違反であったためです。
 さて、この二人のうちどちらが、神のみこころを受け入れ、神の国の祝福にあずかっているのでしょうか。この場にいた大方は「当然、パリサイ人だ」と答えたことでしょう。しかし、「本当にそうなのか」と私たちは問いかけを受けるのです。

2)大逆転が起こる

 ここで初めてイエス様が反応されます。シモンの心の声を聞くことができたイエス様は一つのたとえを話します。それはある金貸しが、500デナリと50デナリを貸していた二人の人の借金を帳消しにしたとき、どちらがより多く金貸しを愛するか、という話です(41-42節)。当然、より多くを帳消しにしてもらった方であり、シモンもそのように答えます(43節)。すると、イエスはシモンに「この人を見ましたか」と言って、イエスを出迎えた時の、彼と彼女の行動を対比します。つまり、シモンは何もするべきもてなしをしませんでしたが、彼女は多くの愛でもてなしてくれたと言うのです(44-46節)。そして、この多くの愛によって、彼女の多くの罪は赦されている、と宣言されるのです(47節)。
 ここに私たちは神の国における逆転を見るのです。ここにいた大方の人は、パリサイ人には罪がなく、この女性が罪深いと見ていました。しかし、結果は違っていたのです。「あなたの罪は赦されている」と彼女は言ってもらえたのです(48節)。反対に、パリサイ人の罪は少ししか赦されていなかったのです。

3)罪の自己認識

 それでは、この逆転はどうして起こったのでしょうか。彼女の罪はなぜ赦されたのでしょうか。もしかすると、私たちはパリサイ人よりも彼女の愛の行為の方が多かったからと思うかもしれません。しかし、先のたとえ話を見ると、そうではないことがわかります。なぜなら、借金をしていた二人はどちらも無条件に「帳消し」にされているからです(42節)。イエス様は、私たちの愛の行為を見て、罪の赦しを調整される方ではありません。イエス様は一方的な恵みによって、100%罪を赦してくださる、あわれみ深いお方です。問題は「自らがどれほどの罪を持っていると自覚しているか」という点にあります。この自己認識の差が、パリサイ人と罪深い女性の差でありました。その差が、罪の赦しを受け、愛する者へと、彼女をつくり変えたのです(逆転の人生!)。
 私たちにとって大切なことは何かと教えられます。私たちの歩みは、どれほど自らのことを省み、どれほど自らの心を照らしていただけるかにかかっているのではないでしょうか。そして、この罪深い女のように、正直になってイエス様のもとに出ていくときに、イエス様は私たちのことを受けとめてくださり、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して生きなさい」と語りかけてくださるのです(50節)。それができるのは、イエス様だけです。イエス様が「罪を赦す権威」を持っておられるメシアであるからこそ、私たちの罪が本当に赦され、愛する者として生きていくことができるのです。