聖 句 「ただし、私と私の家は主に仕える」(ヨシュア24:15)

説教題 「語り継がれてきたこと」
聖 書 ヨシュア記24章11~15節
説教者 栗本高仁師

 敬老祝福礼拝を迎えています。人生経験の中で得られた「知恵」は大きな財産です。多世代でともに生きる大きな意義の一つは、その知恵が語り継がれ、分かち合われていくことにあるのではないでしょうか。
 今日は人生の晩年を迎えたヨシュアという人が語り継いだ大切なことをともに見ていきます。

1)ここまでの歩みを振り返る

 この時イスラエルの人々は、エジプトでの奴隷状態から解放されて、神様が与えてくださった約束の地で暮らし始めていました。
 ヨシュアは、これからどのように生きていくべきかについて語る前に、まずこれまでの歩みについて振り返ります(24:1-13)。その時に、彼は「自分のことば」で語るのではなく、「主のことば」として語ります(2節)。実はそこに大きな意味があります。2-13節を見ると、繰り返し「わたし(=主なる神様)が〜した」という表現が出てきます。このところに、「あなたがたを導いてきたのは、このわたしだ」という神様の力強い宣言が聞こえてきます。つまり、イスラエルの人たちが今このように生きることができたのは、「彼らの功績ではなく」(12-13節)、ひとえに「神様の御業」のゆえだったのです。まず、ヨシュアは「このことを忘れてはならない」と民に語るのです。
 私たちもこのヨシュアの語りかけを聞かせていただきたいのです。私たち家族を、私たちの教会をここまで導いてくださったのは神様だということを、私たちも今朝思い起こしたいのです。

2)最も大切なこと〜主への礼拝

 その上でヨシュアはこの約束の地でどう生きるべきかについて語ります。ヨシュアはイスラエルの民のリーダーとして、数々の戦いに勝利してきました。そのため、様々な戦術や戦法についても経験の中で学んできたことでしょう。しかし、ヨシュアが語ったことは、そのような処世術的なことではなく、「あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え」なさいということでした(14節前半)。つまり、最も大切なことは、主なる神様を礼拝することだというのです。言い換えるならば、それは神様にのみ信頼していくということです。
 主に仕え、信頼していくことが、なぜ一番大切と言い切れるのでしょうか。もしかすると私たちは、実際の生活の中で、神様に信頼するよりも優先すべきことがあると考えてしまうかもしれません。神様に信頼することをまるで危ない橋を渡るようなことと思ってしまうことがあるかもしれません。しかし、ヨシュアにはそのような意識は全くありません。なぜならば、先ほど見たようにここまで戦ってくださったのは「主なる神」であるという確信と信仰に立っていたからです(12-13節)。
 私たちも、すべての主導権を持ち、力強く導いてくださるのは神様である、という信仰に立たせていただきたいのです。

3)主から引き離す存在を…

 ヨシュアはもう一つ大切なことを語ります。それは「あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き…なさい」ということです(14節後半)。主に仕えることを阻もうとする存在がいることをヨシュアは知っていました。それが「偶像」です。すでにイスラエルの民はその影響を強く受けてきました。しかし、イスラエルの民はもうそれは過去のことだと油断していたかもしれません。しかし、油断大敵という言葉の通り、偶像は人間の油断をつけ狙います。その危険性を知っていたがゆえに、徹底して偶像を取り除くように語ったのです。
 私たちにとっての偶像はどのようなものでしょうか。おそらくわかりやすい偶像崇拝をすることはないでしょう。しかし、私たち自身の内側に「神様に取って代わる小さな偶像」がたくさんあります。だからこそ、内側を十分に見させていただき「神々を取り除きなさい」というヨシュアの語りかけを聞かせていただきたいのです。  最後に、ヨシュア「あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶが良い。ただし、私と私の家は主に仕える」と言います。私たちは、主に仕えるのか、他の神々に仕えるのか、どちらを選ぶでしょうか。