
聖 句「神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。」
(ヨハネの黙示録21:23)
説教題 「神の国の完成」
聖 書 ヨハネの黙示録21:22-22:5
説教者 栗本高仁師
イエス様は幼子たちに「神の国はこのようなものたちのものなのです」と言われました。この神の国とは一体どういうところなのでしょうか。
1)完成を見据えて生きることができる
私たちは今日本という国に住んでいます。しかし、この地上の国は一時的なものであり、この世界はやがて過ぎ去ります。ところが、なくなって終わるのではなく、新しい世界が始まります(「私は新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない」黙示録21:1)。まさに、その新しい世界というのが「神の国」なのです。そして、神の国の住民はそこで永遠に生きることができるのです。
私たちはやがて来たるべき時にならなければ、実際に神の国を見ることはできません。しかし、神様はそこがどのようなところであるのかを明らかにしてくださいました。それを見たのが、ヨハネの黙示録を書いた「ヨハネ」という人です。このヨハネを通して、今の私たちも神の国がどのようなところなのかを知ることができます。私たちが、ゴール地点を見据えて生きることができるのはどれほど大きな恵みでしょうか。
2)神とともに永遠に生きることができる
ヨハネはこの神の国の都を見ました。都という場所は、その国の中心でありで、大切な場所です。ほぼ例外なく、その国を治めるリーダー(王/大統領/首相など)は都にいるでしょう。それと同様に、神の国を治める王が都におられます。それは「父なる神」と「子なるイエス様」です(21:22)。神様ご自身が王として神の国を治めてくださるのです。
それゆえにもはや神殿(神様の臨在を象徴する場所)は必要ありません(21:22)。なぜなら、神様ご自身が実際におられるからです。私たちは、やがて来たる神の国で、この世界を造られた神様とこの世界を救われたイエス様と、一緒に生きることができるのです。私たちは神様をこの目で見るだけでなく、永遠にともに生きることができるのです。どれほどの幸いでしょうか。
3)完成した神の国の素晴らしさ
神の国は、神様がともにいてくださるゆえに、今の生きる世界とは全く異なります。何と「太陽も月も必要としない」のです(21:23)。それは神様ご自身が輝いておられ、神様の栄光の光によって生きることができるからです。そこには「夜がない」とあります(21:25,22:5)。これは単に暗くならないということではなく、「闇」に象徴される私たちのすべての苦悩がなくなるということです。「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものは過ぎ去ったからである」(21:4)とあるように、神の国においては、この地上で経験するあらゆる苦しみから解放されるのです。私たちの向かう世界がどれほど希望に満ちているかを見ることができるのです。
さらに、そこには「いのちの水の川」と「いのちの木」があると書かれています(22:1-2)。大切なことは、そのいのちの水の川が「神と子羊の御座から出ている」ということです(22:1)。つまり、神の国において私たち人間を生かしてくださるのは、神様ご自身であるということです。いのちの源である神様に養われるがゆえに、私たちは何も思いわずらう必要がないのです。
このような神の国に私たちは入りたいと願いますが、どうすれば良いでしょうか。「入ることができるのは、子羊のいのちの書に記されているものたちだけである」(21:27)とあります。つまり、イエス・キリストを信じるものたちはみな、神の国に入ることができるのです。そのためにイエス様は私たちのために「住むところ」を用意してくださるのです(ヨハネ14:3)。どうぞ、私たちもイエス様を信じて、この神の国に住まう希望を抱きつつ歩んでいきましょう。
