聖 句「イエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、それらのゆえに神をほめたたえてそれを裂き、群衆に配るように弟子たちにお与えになった。人々はみな、食べて満腹した。」 (ルカ9:16-17)

説教題 「私たちを養ってくださる方」
聖 書 ルカの福音書9章10ー17節
説教者 栗本高仁師

 イエス様が始めてくださった良い世界(神の国)は、弟子たちを通してさらに拡大していきました(9:1-6)。その良い知らせは、私たちの全存在、全領域に及んでいくのです。

1)すべての必要を満たすために

 イエス様に遣わされた十二人の使徒たちが帰って来て、イエス様にすべてのことを報告をします(10節前半)。彼らは素晴らしい出来事(6節)を喜びながら報告したことでしょう。しかし、彼らの体は疲れていました。そのため、イエス様は彼らを休ませるために「彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれ」ました(10節後半)。
 ところが、群衆たちはなおもイエス様の後について来ました(11節前半)。普通ならば迷惑な話ですが、「イエスは彼らを喜んで迎え、神の国のことを話し、また、癒しを必要とする人たちを治され」るのです(11節後半)。それだけではありません。日が傾き始めてきたため、弟子たちは「群衆を解散させてください」と進言します(常識的な判断:12節)。しかし、何とイエス様は「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい」(13節)と言われるのです。
 私たちは、良い知らせによって広がる神の国がどのようなところなのかを知ることができます。そこでは、人々のあらゆる必要が満たされていくのです。神の国の話を聞きたい者には語られ、癒しを求める者には癒しがなされ、空腹の者には食べ物が与えられます。神の国の働きを心の中の事柄だけに制限してはなりません。それは、私たちの全領域に及ぶのです。

 それでは、そのあらゆる必要は一体どこから与えられるのでしょうか。
 イエス様の要求に対して、弟子たちは現実的に応答します。ここには「五つのパンと二匹の魚しか」ないのに、どのようにして五千人以上の人たちのお腹を満たすことができるのか、と言うのです(13-14節)。すると、イエス様は五十人程度の組にして彼らを座らせます。そして、「五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、…神をほめたたえてそれを裂き、群衆に配るように弟子たちにお与えにな」ります(16節)。するとどうでしょうか。「人々はみな、食べて満腹し」たのです(17節)。
 この出来事は、イスラエルの民にとって非常に意味のあることでした(四つの福音書で語られるほどに!)。なぜなら、彼らの先祖はかつてエジプトから奇跡的な力で導き出され、荒野で天からのパンによって満ち足り(出エジプト16:12)、ついにこの約束の地に到達したためです。イエス様が天を見上げて、神をほめたたえて、パンと魚を分け与えたとき、彼らはこの救いの物語を思い起こしたのです。そして、かつての荒野の民と同じように天の神が養ってくださるという経験をしたのです。すべての必要を満たしてくださる方は、この世界の創造主である「天の神」であることを覚えましょう。

2)天の神が養ってくださる

3)天から降られた方を通して

 しかし、私たちは、荒野で文句を言った民のように、この弟子たちのように、天の神が養ってくださることに気づくことができない者であることを思います。そのような私たちのために、神は預言者を立ててくださいました。預言者エリシャは天からの祝福を取り継ぐ「神の人」として立てられました(2列王記4:14)。彼らはエリシャの物語も思い起こしつつ、まさにイエス様を大預言者として見たことでしょう。
 しかし、イエス様は単なる預言者の一人ではなく、預言者を超えた方です。それは、唯一天から降って来た方であり、イエス様以上に天とのつながりを持っている方はいないためです。それゆえに、私たちはイエス様を通して、すべての必要が満たされていくのです。イエス様は、私たちのあらゆる領域における”食卓”を整えてくださり、天からの祝福という”パン”を用意してくださるのです。まさに、イエス様は私たちのテーブルマスターなのです。
 しかし同時に、「群衆に配るように弟子たちにお与えになった」とあるように、私たち弟子たちも天の祝福を取り継ぐ者となるように招かれています。私たちは自分たちのためだけに必要を求めるのではありません。隣人のために、天を見上げて祈り、神の祝福を分かち合う者であることを覚えたいのです。