金 言
「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。」

説教題 「なだめる父」
聖 書 ルカの福音書15:25~32
説教者 井上賛子師

 バロックの巨匠レンブラントの「放蕩息子の帰還」という絵画がある。右側にいる人物は兄息子である。レンブラントは、兄息子と父を大変よく似せて描いている。二人とも髭があり、肩から大きなマントをまとっている。しかし、その間には大きな隔たりがある。父は帰ってきた我が子の上に身をかがめている。兄息子は身を堅くして直立している。父のマントは広げられ、人を歓迎しているようだ。兄息子のマントはきっちりと体だけを覆っている。父の両手は指し伸ばされ、祝福しようと帰還した息子に触れている。兄息子の両手はしっかりと握られ、胸の近くにおかれたままである。二人の顔には光が当たっている。父の顔、体全体から発している光は、温かさにあふれ、光の輪の中に弟息子を包み込んでいる。一方、兄息子の顔から出る光は冷たく、抑制されたものだ。彼の姿は闇に留まり、握った両手も影の中にある。

Ⅰ.兄の怒り

 ①「これはいったい何事か」自分はのけ者にされた。「だれもわたしに知らせに来てくれなかった。」という不満。わたしたちは、ちょっとした拒否や、ささいな不作法や、少し無視されただけで不満を抱く。
 ②「ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。」 彼はいつも正しいことを行い、従順で、勤勉で、法を遵守していた。しかし「正しさ」や「正義」の中に、あまりにも大きな恨み、無慈悲な怒りがある。
 ③「私には、友だちと楽しみようにと、子やぎ一匹下さったことはありません。それなのに……」。一生懸命仕えている自分よりも、あの弟の方が父にとって大事なのか、自分の努力には何の価値も認めてくれないのか、我慢がならない、わたしこそ認められるべきだ。
 ④「あなたのあの息子」 自分の弟のことを、もう弟とは呼びたくない。「あなたはあいつを息子として迎え入れるつもりかもしれないが、私はあいつを家族の一員と認める気はない」という思い。

Ⅱ.兄の思い

 ①無責任な弟の方が、注目を集め大事にされているのではないか。弟の方が愛されているのではないか。
 ②従順と義務は彼にとっては重荷であり、奉仕ではなく奴隷のように感じていた。弟は、父の家にいることを束縛と思い、そこを飛び出した。兄は家に留まっているが、内心では彼も家にいることを喜んではいなかった。

Ⅲ.なだめる父

 「すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。」28節 
 「なだめる」というところを「中に入るようにとしきりにうながした」という英訳。そして、言われた。「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ」31節。父は「子よ」と呼ばれる。「テクノン」という言葉で「情愛のこもった呼びかけ」である。無情で苦々しい兄息子の非難を裁く言葉はそこにはない。父の立場を主張することも、意見さえ述べなかった。父からの無条件の愛の表明は、兄よりも弟を愛しているのではないかという不安を取り去る。惜しみなく、限りない父の愛は、二人の息子に平等に注がれている。

Ⅳ.比較されない父

 なぜ父は兄息子が帰って来るまで祝宴を待たなかったのだろうか。弟息子が帰ってきたという喜びが大きくて、祝宴の開始を待ちきれなかったのではないか。父は祝宴を開いたことを、兄息子が怒るとは思わなかったのだろう。兄息子が帰ってきたのに気づくと、父は兄息子の所へ行き、祝宴に加わるように懇願している。この世は絶えず自分と他を比較するが、父なる神は決して比較をなさらない。真実であると分かっていても、わたしたちがそれを丸ごと受け入れるのは困難である。だれかが、「お気に入りの息子」というのを聞けば、すぐに他の兄妹はそれほど可愛がられていないのだと思ってしまう。父なる神にとって、神の子たちのすべてがお気に入りであるなど、どうして可能なのか。神は比較など全くなしに、すべての人の独自性を認め、放蕩の限りを尽くした無責任な弟息子も、忠実に従ってきたが心は離れていた兄も、同じように愛して下さる御方なのだ。

Ⅴ.帰ろう御父の元へ

 父なる神が私たちを子として愛して下さり、「私のものは全部おまえのものだ」と言って全てを与えて下さる、独り子の命をすら与えて下さる。体だけでなく心も、わたしのもとに留まって、わたしと共にいることを本当に喜ぶ者となって欲しい、という父の願いがここに込められている。神はそこにおられる。神の光はそこにある。神の赦しはそこにある。神の限りない愛はそこにある。「おまえはいつも私と一緒にいる。わたしのものは全部おまえのものだ。」と言われる天の父への真の信頼に立ち返ろう。
 『天と地にあるすべての家族の「家族」という呼び名の元である御父』(エペソ3:15)という御言葉。色んな神の子たちがいて、すべてが神のお気に入りの子である。わたしたちは御父なる神のもとへ帰ろう。居続けよう。