聖 句「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」 (イザヤ書9:7)

説教題 「キリストー真の王の到来」
聖 書 イザヤ書8章19節~9章7節
説教者 栗本高仁師

 この待降節(アドベント)の時「イエス・キリストがなぜこの地に来られたのか」ということを、イエスの三つの名「キリスト」「イエス」「インマヌエル」に注目しつつ見ていきます。今日はそのうちの一つ目「キリスト」です。

1)イスラエルの使命

 「キリスト」とは「油注がれた者」という意味です。イスラエルで王が任命される時に油が注がれたため、王の呼称として用いられました。つまり、「イエス」は「王(キリスト)」としてお生まれになったのです。なぜイエスは王としてお生まれになったのでしょうか。それを知るために覚えなければならないことは、イスラエルに与えられた使命です。
 それは、イスラエルの父祖アブラハムにまで遡ります。人類はアダムとエバの堕落以来、神様から離れ罪の中を歩み続けていました。しかし、私たちが神様に立ち帰り、神様の祝福にあずかることができるように、一人の人が選ばれました。それが「アブラハム」です。神様は彼に「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。…地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世記12:2-3)と約束しました。つまり、彼の子孫であるイスラエルの国によって、世界中の人々が神様の祝福にあずかることができるという約束です。

2)使命を果たせないイスラエルの王たち

 その約束は、時代が進みイスラエル王国となってからダビデへと引き継がれます。神様がダビデの王座を「とこしえまでも堅く立てる」と約束し(2サムエル7:12)、イスラエルを通してとこしえまでも祝福が広がることを示唆されます。しかし、その後のイスラエルの国の多くの王たちは、神様の祝福を取り次ぐどころか、神様から離れ、世界に呪いをもたらし続けます。
 まさに、その一部分が今日の箇所にも記されています。本来、イスラエルの民は、自分たちの神に頼り、神のことばと教えに尋ねるべきでした。ところが、当時を生きるイスラエルに人々は異教の風習である「霊媒、ささやき、うめく口寄せ」を頼りにしていたのです(8:19)。それゆえに、神様はイザヤを通してイスラエルの民は暗闇の中を歩むことになることを告げられます(8:21-22)。
 その責任は誰にあったでしょうか。それは、イスラエルの民を導く王たちにありました。イスラエルを正しい方向に導き、神様の祝福を世界に取り次ぐことが、王たちに委ねられた使命でした。しかし、彼らは使命を果たすことができなかったのです。

3)真の王の到来の約束

 それでは、アブラハム、ダビデに告げられた神様の約束は成し遂げられずに終わるのでしょうか。そうではないのです。すぐに神様は「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。…闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く」(9:1-2)ということを預言されます。
 それはどのようにして実現するでしょうか。神様は光をもたらすために、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」と預言されます。その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれます(9:6)。そして、その方が「ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える」のです(9:7)。つまり、この方によって、世界が祝福されるという約束は果たされるというのです。まさにその方こそが「イエス」であり、それゆえにイエスは「キリスト(真の王)」と呼ばれるのです。

 このように、イエス・キリストは、聖書全体の神様の救いのご計画において、最重要人物としてお生まれくださったのです。人間(イスラエルの王たち)には果たし得なかった使命を、イエス・キリストがお一人で果たしてくださるのです。私たちはこの王の誕生を心から祝うものとさせていただきましょう。