聖書:詩篇139:13~18
「神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしがめざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。」(詩篇139:17~18)
説教題 「私を愛し、造ってくださった方」
聖 書 詩篇139:13~18
説教者 矢島志朗勧士
なぜ人は生きるのだろうか?自分は一体何者なのか?という問いは、歴史の中で常にあり続けているものである。その答えへとつながる「神様が人間を造ってくださった」ことについて、詩篇のことばに聴いていきたい。
1.私は組み立てられた。(13~15)
聖書には「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1:27)「土のちりで人
を造り、命の息をその鼻に吹き入れた」(同2:7)と書かれているが、ここではさらに
詳細に書かれている。「わが母の胎内でわたしを組み立てられた」(13)とあるが、「組み立てる」という言葉には、「織るようにつくる」という意味がある。
自分が生まれてきた時のことは、自分自身ではわからない。自分で自分を造っ
た人もいない。卵子と精子が結ばれて受精卵になる確率は3億分の1と言われる。科学的に、胎児が母のお腹でどのように成長するか(How)は説明がされ得るが、聖書は、そこには神様のご意思があること(Why)を語る。神様はご自身に似せて、大切に私達人間を造ってくださった。詩篇の作者は、そのような神様は「おそるべく、くすしい方」であると語り、神様をほめたたえている。
ある文章で、哲学に傾倒する人が仲間との会話の中で「私は、色々なことに感
動していたいんですよ」と語っているのを読んだことがある。よくよく考えてみると驚
くべきこと、というのが、この世界には少なくない。自分が生かされていることもその
類のことではないかと思う。病やケガなどの不自由を経験すると一層、自分の体が
あり、生きているというのはすごいことだと思う。「あなたは最もよくわたしを知ってお
られます。」そう、私たちは神様に造られて、知られているのである。
2.神様が私のことを書物に書き記してくださっている(16)
わが家の3人の子どもたちについて、小さい頃に子育て日記がつけられていた。そこには子どもの成長過程でのちょっとした変化が記されているが、それらに気づくことは喜びであり、子どもへの愛おしさを抱いた。16節には、私たちの歩みが神様の書物に記されているとある。なんということだろうか。しかも、生まれる前からである。神様は私たちをとても愛おしんで、大事に思ってくださっているのである。
自分史を書いたことのある方はおられるだろうか。書いてみると、そのたびに発見がある。自分があの時にこのように思っていたのか、実はこの出来事は後の出来事に大きな影響を与えていたのかなど、発見があったりする。私たちはそういったことを少しずつ気づいていくが、神様は私たちについて、すべてご存じなのである。
この世を生きる現実の中では、必ずしも常に肯定的に歓迎され、受け入れられて過ごせるわけにもいかないことがある。誰しも、傷つくということがある。歴史の中で、狂気に満ちた独裁者などの人生が、悲しみや苦悩に満ちていたり、愛情に飢えていたりというがしばしばある。もちろんつらい経験をしたからこそむしろ人にやさしく、受け入れようと懸命に生きた人たちもたくさんいる。いずれにせよ、私たちは自分という存在を知ってもらい、受け入れてもらうことに飢え渇き、受け入れられているという安心感の中でこそ、自信を持って生きていける。それを与えてくださる方は、神様である。
3.神様が共にいる(17~18)
「わたしが目ざめる時とき、わたしはなおあなたと共にいます。」(18)とあるが、神様は、私たちと共にいてくださる。それは、イエス様の十字架によって神様との和解の道が開かれたことによって実現した。人間は歴史の最初に神様を裏切った。「神などいらない」という行動をとった。自分が神になることを願い、悪魔にそそのかされて神を裏切った。そこから罪が入り、自己中心になり、戦争もし差別もする者となった。しかしイエス様の十字架と復活により、神様と仲直りして真のいのちに生きる道が開かれ、今もその道は開かれ続けている。神様ありがとうございます、この神様と共に歩めることを感謝します、祈り、神様が与えてくださる救いを受け取っていきたい。
【中高生が考えるためのヒント】
(問1)神様が自分を組み立ててくださったことについて、どう思いますか。(13-15)
(問2)神様が自分のことを書物に記してくださっていることについて、どう思いますか。(16)
(問3)神様が共にいてくださることは、あなたにどのような影響を与えますか。(17-18)