聖書:Ⅱテモテ2章19~21節

「もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。」(Ⅱテモテ2:21)

教会では3つのビジョンを目標に掲げて進めています。月に一度は礼拝の中でビジョン達成のために祈っています。昨年は矢島勧士が教会ビジョンに関わって下さり、毎月の午後、与えられたビジョンをどのように実現していくかワークをしながら考えて、互いに話し合ってきました。そうゆうわけで今朝はビジョンの一つのテーマとなっている霊的成長(きよめ)について、聖書は何と言っているか確認していきたいと思います。

説教題 「神に役立つ者とされる」
聖 書 Ⅱテモテ2章19~21節
説教者 長谷部裕子師

1. 神のゆるがない土台

20節にある「大きな家」とは教会のことです。教会の規模や礼拝人数に関わらず、神の教会が必ず有している霊的な宝があります。それは教会には「神のゆるがない土台」(神の堅固な土台/新改訳2017)がすえられていることです。しかもその礎には霊の保証の印が押されています。印とは文章などに押される所有権と保証のしるしです。すべての教会は主のものであり、そこに集まる私たち一人ひとりも主のものとされます。私たちはイエス・キリストの救いの福音を聞き、それを信じたことによって、約束の聖霊の証印を押されました。(エペソ1:13)この証印は、私たちが正真正銘の神の子であることを確かに認める印で、お前は私のものだという神ご自身の所有の印です。罪人の私が救われて教会に集められ主を信じたことによって、聖霊がご内住くださり主のものとされたのです。教会は○ギエクレシアといい、その意味は「選び、召し集められた群れ」と言われます。

2. 神と人が交わしたきよめの誓約

教会には神の堅固な土台が据えられていて、二つの「銘」が刻まれています。パウロは「主は自分の者たちを知る」。(「主はご自分に属する者を知っておられる。」/新改訳2017)と言います。この19節が示すように確かに神はご自分の民を知っておられます。良き羊飼いなる主イエスは「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。」(ヨハネ10:14)と言われました。神が私の悲しみも憂いも心配もすべて知られているなら安心してお任せできます。
つまり私たちは神に知られ、信任されているのです。二つ目は「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。これは民数記16章で神はモーセによって神の民に向かって「悪者の天幕から離れよ」と命じておられます。愛である神は、「聖と義」なるお方であられます。私たちはきよい主のものとされたからには、当然ですが私たちも共にきよくならなければなりません。神の選びの民は、悪から離れその敬虔な生活によって、神の民(神の子)としてふさわしい証ししなければなりません。

3. きよめられた器になる

ここでパウロは家庭にある器をたとえにして、きよさの大切さを説きます。わかりやすく書かれたリビングバイブルから20~21節を読みます。「裕福な家では、金銀の高価な器だけでなく、木や土の粗末な器も備えてあります。高価な器は客をもてなすために使い、粗末な器は台所用か残飯入れに使います。罪を離れて自分をきよく保っているなら、キリストの最高の目的のために用いていただける器になるでしょう。」教会はキリストのからだとして各自がきよくあろうとするべきです。私たちは救いの福音を聞き、自分の罪に絶望して古い私と決別してイエスを信じて、新しい人を着たのです。キリストと共に死んでキリストに明け渡すとき、きよめ主なる聖霊が私のうちに住まわれます。聖霊はわたしたちをきよめるために、あらゆる世の誘惑を退け間違った教えをただし、最も扱いづらい自我を打ち砕き滅ぼし、「彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。」のです。そのために「若い時の情欲を避け」(22)るという肉欲に打ち勝つだけではなく、さらに深い肉的な性質についても“神のお取り扱い”が必要です。傲慢さ、気短、自己顕示欲、怠惰さなどを取り去って、「きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。」(22)とパウロは人々に呼びかけています。キリスト者は罪を遠ざけきよめを慕い求めていくことで、キリストにあるすばらしい義と信仰と愛と平和を、世と世にある人々に表してゆきます。私たちが共に考えたビジョンに教会と個人が一歩でも半歩でも近づいて行きましょう。
「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」(ヘブル12:14)

【中高生の考えるヒント】

(問1)教会の所有者はだれですか。キリスト者はだれに所属していますか。
(問2)神様は救われた者は、どのようになりなさいと言っておられますか。
(問3)あなたは自分でどんなところが「きよさ」に欠けると思いますか。