金 言 「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜って神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにしてくださるように」(エペソ1:17~18a)

説教題 「心の目が開かれますように」
聖 書 エペソ1:15~23
説教者 矢島志朗勧士

パウロによりエペソ及び周辺の諸教会に向けて書かれたこの手紙の冒頭では、
神に選ばれていること、神の民として一つにされるという計画があること、聖霊による神の国をつぐことの保証が与えられていることについて語られ、これらがすべてが、神の栄光をほめたたえるためであることが語られる。そのことを覚えながら、パウロが切に願っていることについて、1章の後半では語られる。
 パウロは、彼らの信仰と愛について耳にし、祈りのたびごとに彼らのために神に感謝をしている。パウロの伝道旅行の期間中、エペソ滞在は他のどの都市より長い約3年間に及んだ(使徒19:10)。そこで彼らの生活によく触れた経験に基づいての言葉なのであろう。

1.希望、神の国、神の力(15~19)

 パウロは、エペソの人たちに知恵と啓示との霊が与えられることを願っている。それによって神を認め、神に召されていただいている望みがどれほどのものか、聖徒たちが継ぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、神の力強い活動によって働く力がいかに絶大なものであるかを知るようにと祈っている。心の目が明らかにされて、これらに気づくようにと祈っている。
 希望、神の国、神の力、これらはすべて神を信じる者たちに与えられているものである。たたかいの多い日々の中で、ともすると認識が薄くなってしまうような事柄であるが、今この時も、神の絶大な力が私たちに働いている。日々の歩みの中で、また様々な出来事を通しても、神は私たちの心の目を明らかにし、神に気づかせ、希望を与えてくださるのである。

2.すべての上にあるキリスト(20~21)

 神はその絶大な力を、キリストのうちに働かせてくださった。そして、キリストを死人のうちからよみがえらせられた。キリストの復活は神の絶大な力のあらわれなのである。そして、キリストはすべての支配、権力、権勢の上、あらゆる名の上に置かれているのである。 
 この事実に立つならば、私たちはキリスト以外の何を恐れる必要があるだろうか。このキリストが私たちの主であり、私たちと共にいて、また私たちのうちに生きてくださっているのである。恐れにとらわれそうになっても、惑わされることなくキリストを見上げたい。私たちの罪のために十字架にかかってくださったキリストの復活にあらわされた、神の絶大な力を覚えたい。

3.キリストのからだであり、キリストが満ちる教会(22~23)

 このキリストがさらに、教会に与えられていることが述べられる。教会はキリストのからだである。キリストがかしらとなってくださり、私たちは一つのからだとしてつながっているのである。教会論では、地上のひとつひとつの「地方教会」と、普遍的にキリスト者たちがつながる「公同の教会」の二つがあると説明することがある。どちらであってもかしらがキリストであって、私たちはからだである。私たちは結び合わされて、キリストの愛の中で、かしらなるキリストに向かって共に成長していくのである(4:14~16)。
 教会には、すべてのものをすべてのもののうちに満たしている方が、満ちておられる。つまり、キリストが満ちているのである。この事実に目が開かれていくのは、なんという幸いだろうか。教会で共にささげる礼拝のうちに、聖礼典のうちに、兄弟姉妹の愛の交わりのうちに、聖書を学び祈りをささげ、奉仕をし、福音を伝えていく。このような教会のすべての歩みの中に、キリストが満ちてくださっているのである。
 神さまによって心の目が開かれ、明らかにさせられていきたい。ひとりひとりに、そして教会に与えられている恵みの豊かさに、気づかせていただきたい。今すでに与えられているものも多くある。パウロの祈りは熱烈である。この祈りで願われているような気づきを与えられて、希望と喜びの中を共に歩んでいきたい。

(問1)パウロはエペソの人たちがどのようになることを祈っていますか(15-19)。
(問2)神の力がキリストに働いて、キリストはどのようにされましたか(20-21)。
(問3)教会とキリストとの関係は、どのようなものですか(22-23)。