金 言 すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
(Ⅱコリント4:15)

説教題 「土の器が壊されるとき」
聖 書 Ⅱコリント4章7~15節
説教者 長谷部裕子師

今日は二回目のZOOM礼拝です。今年はコロナ禍を恐れ戸惑いながら町に出ると、真夏なのに道行く人のほぼ全員がマスクをしているという光景を見ると、流石に事の異様さを感じざるを得ないのは、私だけではないでしょう。万物の霊長を自負していた人類が、恐れるべき脅威は毒蛇や猛獣でも兵器でもなく、意外にも目に見えないミクロ単位のウィルスでした。われわれはウィルスに翻弄され命を脅かされ、今や社会全体が足もとから揺さぶられています。私たち人間はテクノロジーを駆使してAIを開発し、宇宙開発を競って進める叡智を誇っていましたが、微小で原始的なコロナ・ウィルスが感染拡大することで、瞬く間に世界を席巻してしまいました。こう考えていくと、人間とはなんと弱く脆いはかない存在なのか。今年ほどそれを思い知らされた年はありませんでした。要するに人間は自分たちが思う以上に、脆弱で繊細な生き物です。それは単に身体だけでなく、心もストレスや誘惑に弱いので容易に罪を犯してしまうのです。これは認めなければなりません。

1.土の器の中に隠された宝

 わたしたちがたとえ人と比べてどんなに優秀であっても、所詮は誰でも「土の器」に過ぎません。それは「主なる神は土のちりで人を造り」(創2:7)とあるように、神様は最初の人アダムをこうして造られました。女性形のアダーマーは「土地」「土壌」の意です。神様はそこに「命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者」になりました。こうしてひとりの人間が完成するのです。人は神様によって「神のかたち」(創1:27)に創造されたのに、人はそのことを忘れて神様を嫌い背を向けて滅びに向かいました。そこで神のひとり子イエス様が罪の代償として十字架にかかられ、予告されたように三日目に死人の中からよみがえりました。神様はこの十字架と復活を信じる者に救いを与えてくださいました。ですから救われた者は粗末な土の器の中に今や「神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝き」(Ⅱコリ4:4)というダイヤモンドのように燦然と輝く宝を持っているのです。(7)この宝が持つ力は神様からのもので莫大な威力を発揮します。(8~9)どんな困難にも屈することなく、竹のようにしなやかにしなっては、試練を跳ね返す弾力性に富む抵抗力を備えているのは、外側の脆く欠けだらけの自身の土の器ではなく、内なる強靭なパワーであるイエスのいのち(10~11)に満たされているからです。それをこの書簡の著者のパウロは、自分が今持っている知恵や力を頼みとしないで「わたし」が死んで、キリストのいのちに生かされるときに、はじめて聖霊が力強く働くと言っています。(10~11)

2.土の器が壊されるとき

土の器と言って思い出すのは旧約聖書の士師記7章です。ここでギデオンはミデアンの軍勢と戦う時、イスラエルの三百人の兵士一人ひとりにラッパとからつぼを持たせて、つぼの中にたいまつをともさせます。(士師7:16)そして真夜中頃、イスラエル軍は奇襲作戦に出ます。その奇怪な作戦とは一斉にラッパを吹きならし、手にあるからつぼを思いっきり打ち砕いたのです。土の器が粉々に壊されたその途端に、中にあったたいまつが閃光のような光を放ったので、敵陣の者は恐れおののき、阿鼻叫喚して逃げ場を失い同士討ちをして倒れました。土のつぼの中に隠されたたいまつが、一挙に輝きだすにはつぼを壊すことでした。人は土の器にすぎませんが、救われたキリスト者は内側に宝を持っています。その宝とはキリストの栄光に関する福音の光です。しかし宝のすばらしい輝きを人々に見せるために、外側の粗末なからつぼという自分をまず砕かれなければならないのです。イエス様がもたらした十字架の愛の光は、あなたから輝きだしているでしょうか。

3.神の栄光よ、我が内から光を放て

 私たちの内にある宝であるまばゆいばかりの神様の愛の光は、私という土の器を壊してこそ明らかにされます。人は砕かれるときに痛みが伴います。だから私たちは災難が及んで痛まないように願い祈ります。でも忘れてはなりません。たとえ苦難が起きたとしても、神様は私たちに徒労という名の「無意味で無駄な道」は決して通させません。それは「すべてのことは、あなたがたの益である」(15)のみことばにも保証されています。ただし次のみことばにも耳を傾けてください。「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。」(ピリピ1:29)さらに私たちは「キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている」(ローマ8:17)のです。しかし恐れることはありません。救われて神の子どもとなった私たちには、死からよみがえるほどの莫大な力が永遠に備わっているのです。だからついには「恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となる」(15)のです。あなたの内側を照らす光を信じてください。