「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。」(ヨハネ14:1・2)

説教題 「ゴールの栄冠」
聖 書 ヨハネ14:1~7
説教者 井上義実牧師
 11月第1聖日は教会では諸聖徒の日に定められている。諸聖徒は人類始まって以来の全てのクリスチャンを指している。先に召されて天国にある魂が何人なのかは神様でなければ解らない。先週が荻窪栄光教会での召天者記念礼拝であり、今日が船橋栄光教会での召天者記念礼拝となった。その間に伊藤倫子姉が天に召さ昨日告別式を執り行った。生まれるに時があり、死ぬるに時があり、神様のご支配にある厳粛な思いを感じる1週間であった。

Ⅰ.天国という目的地

 イエス様がこの説教を語られたのは明日十字架にかかられる最後の晩餐の席であった。場所を用意しに行くと言われている。場所とは正しく天国である。父の家にはすまいがたくさんあるとも言われた。私たちの考え、想像は私たちの知っているこの世界に基づいている。天国は全く異なった次元の話になり、私たちの考え、想像で捉えられるものではない。天国の輝き、素晴らしさ、美しさ、私たちの魂が肉体を離れた存在としてどのように受け入れられるのかは解らない。私たちは死に対しても、その後に対しても心を騒がせる必要はない。この時の弟子たちは、彼らが鈍かったとしても、これから何かが起こる、イエス様から引き離されるかもしれないという不安は持っていただろう。イエス様は弟子たちに平安と勇気を語られた(16:31~)。私たちにも主は共におられ、地上の歩みを導き、天上の御国を備えてくださっている。

Ⅱ.天国への道

 私たちはこの世の学びをどんなに積んでも、霊的なことがらは聖霊に照らされ、神様から教えていただかなければ解らない。このヨハネ福音書3章の政治的、宗教的指導者、人生の経験も長いニコデモが典型例である。神様がどのような御方であるのか、神様をどのように信じれば良いのか、天国に関してもどのようにいけば良いのかわからない。阿弥陀信仰の西方浄土、イスラム教の天国、古代の王の墳墓にはそれぞれの天国が描かれている。古今東西、人は死を深く受け止めてきた。イエス様は私たちに明快に答えてくださった。イエス様自身が道、真理、命であると言われた。私についていれば迷わないと言われた。人生という旅路のガイド役である。「神様を信じる、イエス様を信じる」ことに尽きる。信じるとは心を開いて受け止めることである。小さな子どもたちでも、どんなに高齢の方でもできる。これほど公平なものはない。神様の救いは真の恵みである。道のりはイエス様に任せれば良い。

Ⅲ.天国へと向かう力

 神様が確かに備えてくださっている天国がある。天国への道筋はイエス様が導かれる。それでは、天国へと歩む力はどこから生まれるのか。「真理」こそが力を与える。「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。」(Ⅱコリント13:8)。不真実なこと、正しくないことは力にはならない。神様の真理をどのように知るのかというと、イエス様は聖霊を真理の御霊と呼ばれた。「けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネ16:13)。私たちは聖霊によって真理から真理へと導かれ、力が与えられる。

神様は私たちを永遠の中に導いてくださっている。完全な愛は無限のもの、完全な救いは永遠のものである。私たちはここに揺るぎない平安を持つことができる。与えられている地上の歩みを全うし、主とお会いし、諸聖徒とお会いできる日を待ち望みながら共に歩ませていただこう。