金 言 「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」(マタイ25:13)

説教題 「覚醒された信仰」 ~再臨(終末)に備えるキリスト者~ 
聖 書 マタイ25章1~13節
説教者 中島秀一師

コロナ災禍や度重なる地震や豪雨などの自然災害の中に、私たちは否応なしに終末の兆候を見出さざるを得ません。本日は「覚醒された信仰」について考えます。

Ⅰ.花婿(キリスト)を迎える花嫁(1)

1 花嫁とは誰か。
「教会はキリストの花嫁である」という観点から、「十人のおとめ」は「花嫁」であって、教会を表しています。教会には「公同の教会と地域の教会」などの二重性があります。

2 花嫁の選任
「教会とは、神によって、この世から召し出された者たちの集まり」です。

3 花嫁の特質
花嫁に求められる特質は「聖=純潔と従順」です。私たちは自分の力で特質を得ることは出来ません。すべてはキリストの血潮の功績によるのです。

Ⅱ.キリストを迎える花嫁の備え(2~12)

1 あかりか、油か
「あかり」は、灯心と油からなっています。「用意した油」とは備蓄の油であって、灯心が「あかり」となる必要な資源です。思慮深いおとめは油を用意していましたが、思慮浅いおとめは用意していなかったのです。この点が二分された理由です。

2 目を覚ますか、居眠るか
花婿が来る時間は未定ですが、遅れても来訪されることは確かでした。ですから、いつ来られても良いように、目を覚ましておく必要がありました。しかし彼女らは居眠りしていたのです。

3 依存か、自立か
思慮浅いおとめたちのあかりは消えかかっていました。そこで思慮深いおとめたちに「あなたがたの油をわたしたちにわけてください」と願いましたが、「店に行って、あなたがたの分をお買いになる方が良いでしょう」と断られました。油を買い宴会場に戻ってきましたが、すでに戸は閉められ、「わたしはあなたがたを知らない」という返事が返ってきました。聖霊は各自に与えられた賜物であって、他人の信仰をあてにはできません。依存ではなく、自立した信仰が求められるのです。

Ⅲ.花嫁にふさわしい信仰

1 臨在信仰「神=キリストが共に」
「わたし自身が一緒に行く」(出エジプト33:14)。

2 聖潔(きよめ)信仰「キリストの内に、キリストわが内に」
「奥義なるキリスト栄光の望み」(コロサイ1:27)、「キリストと共に葬られ、キリストと共に生きる」(ガラテヤ2:19~20)。

3 再臨信仰「そして、キリストと永遠に」
キリストは「見よ、わたしはすぐに来る」(黙示録22:7など)と予言しています。「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』」(22:17)。当教会は再臨信仰を主導された森山諭師が生み出した教会です。他教会以上に再臨信仰を標榜する特権に与っています。