金 言 「こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」(エペソ4:14、15)
説教題 「共に成熟を目指して」
聖 書 エペソ4:1~16
説教者 矢島志朗勧士
ペンテコステを迎えた。聖霊降臨日であるとともに「教会が誕生した日」でもあることを深く覚えたい。神様が約束の御霊をお与えくださったその日に、教会を与えてくださったのだ。最近、数名の牧師先生とお交わりする中で、「現代は教会という共同体で共に建て上げられていく意識が希薄化しているのではないか。その意識を再び強く持つことが今、問われているのではないか」ということが話題になり、深く考えさせられた。
エペソ人への手紙の前半3章では神の永遠の選び、恵みによる救い、ユダヤ人と異邦人の隔ての壁が取り除かれて一つとされること、神の家族とされて共に建て上げられる恵みが、あふれるばかりに語られている。そしてその豊かさに気づくことができるようにという熱烈な祈りがささげられている。そして4章からは、具体的な勧めへと進んでいく。
1.一致と多様性(1-10)
1~6節で、御霊による一致を保つことが勧められる。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つと語られる。8、9節では、敵に勝利して凱旋する将軍が戦利品を与えるような表現を用いて、キリストが死に打ち勝ち神の右の座に着いて,私たちに賜物を授けて下さったことが語られている。
2.立てられた働き人(11-12)
キリストが死からよみがえってくださって、私たちに戦利品のように与えてくださったものとして、使徒、預言者、伝道者、牧師また教師が立てられた。教会に働き人が立てられているのは、人間が勝手に考え出したことではないのである。12節でその目的として「聖徒達を整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」とある。「整える」という言葉には、「破れを繕う」という意味がある。ここでわかるのは聖徒たち、つまり私たちキリスト者というのは、整えられる必要があるということである。立てられた働き人によって語られるみことばによって整えられ、キリストのからだを建て上げるという目的の中で生かされているのである。
3.共に成熟を目指して(13-15)
では「キリストのからだが建て上がる」とはどういうことだろうか。13節で「神の御子に対する信仰と知識において一つとなり」ある。信仰とともに、神を知るための知識を学ぶことの大切さを思う。知識を正しく身につけなければ、人を欺く悪賢い教えにもてあそばれてしまうのである。また、一つとなる結果として「一人の成熟した大人になって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」ことができるのである。
15節で「愛をもって真理を語る」ことが強調される。私たちは、「語り合う」ことで成長するのである。交わりがいかに尊く、大切であるかを思う。愛をもって真理を語るのであれば、そこには罪の指摘もあれば、痛い思いをすることもあるかもしれない。しかしその繰り返しの中で私たちは神の愛をより深く知り、成熟へと向かっていけるのである。
4.愛のうちに建てられていく(16)
最後に16節から覚えたいのは、私たちは組み合わされて共に建て上げられていくということである。教会に連なる兄弟姉妹にはそれぞれの個性、賜物がある。自分が一つの節であり、自分に託されている使命があることを自覚し、置かれたた場所で神を愛し、隣人を愛し、使命を果たしていく、そうすることで共に建て上げられていくことを覚えたい。そして、キリストのからだである教会の豊かさをさらに知っていく者でありたい。
キリストを目指して成熟していく途上にあることを覚えて、愛し合い励まし合ってそれぞれの場所で仕えていく、遣わされた場所で少しずつでも神様のみこころにかなう世界が造られていくいく、破れているもの、痛んでいるものが回復していき「神様は素晴らしい」との告白、賛美へと導かれる。そのことを期待し祈りつつ、またそれぞれの歩みへと遣わされていきたい。
(問1)パウロは何をすすめているでしょうか(1-6)
(問2)キリストが与えてくださったものと、その目的は何でしょうか(7-15)
(問3)教会として共に建て上げられていくことを、どのような時に実感しますか(16)