金 言
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」(エペソ4:22~24)

説教題 「新しい人を着て生きる」
聖 書 エペソ4:17~32
説教者 矢島志朗勧士

 天地が造られる前から神に愛されて選ばれ、恵みによって救われたキリスト者たちに対して、エペソ人への手紙4章の前半では、御霊による一致を保つこと、キリストが教会の指導者を立ててくださったことが語られる。その目的は聖徒たちを整えて奉仕をさせて、キリストのからだを建て上げるためである。教会に連なる一人一人は、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、キリストに向かって成長、成熟していく。この恵みが語られた後に、「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着ること」が勧められていく。

1.古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る(17-24)

 パウロによって厳かに勧められている(英語ではinsist)ことは、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではならない、ということであった。19節に「無感覚」とあるが、これは、神の真理に対してまったく関心を示すことがない心、また悪を目の前にしても恥を感じない心の状態である。神を信じず、神のいのちから遠く離れた者の姿であり、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人の姿である。キリストを信じ、キリストに教えられている者は、この古い人を脱ぎ捨てたのである。この「脱ぎ捨てる」という動詞は、徐々に一枚一枚脱ぐのではなく、瞬間的、決断的な行為を意味する。一気に、一切合財を脱いでしまったのである(ロマ6:6)。そして、神にかたどられた新しい人を着たのである。この「新しい」には「衰えることのない若さ」という意味がある。常に刷新される、新しい人を着ることとなったのである。私たちの努力によってではなく、神の恵みによって着せていただいたのである。

2.新しい人を着て生きる(25-32)

 新しい人を着て生きることは、新しい、キリストにあるいのちに生きることを意味する。以下のように、具体的なことが勧められている。

1) 偽りを捨て、真実を語りなさい(25)

その理由として、「私たちは互いに、からだの一部分なのです。」とあるのが興味深い。互いに愛し合ってキリストのからだとして成長していくためには、偽りがなく真実を語り合って、平和の絆(4;3)で結ばれることが必要なのである。

2) 怒っても罪を犯してはなりません(26-27)

当時のギリシア人著述家のプルタルコスは「裏切られて罵りたくなるような怒りに駆られても、彼らは日没までに和解の握手を交わすことを習慣としていた」と言った。パウロはこの言葉を意識していたかもしれないが、怒りに支配をされて心が乱れて、罪深い動機によって憤ってしまう、そうやって悪魔に機会を与えてしまわないことを意識している。

3) 盗まない、人の成長に役立つ言葉を語る(28-29)

どちらも、自己を中心とする生き方ではなく、他者を助けて生かすような生き方を志向することから出てくる行動である。

4) 聖霊を悲しませない(30)

今までの勧めの本質が、このことに集約される。新しい人を着て生きること、これが聖霊の願いであり、聖霊が導こうとしている生き方なのである。エペソ書の冒頭から言われているが、キリスト者は救いのしるしとして聖霊の証印が与えられている。この聖霊の導きに反さない、悲しませない生き方をしていくことが神の願いである。

5) 互いに親切にし、優しい心で赦し合う(31-32)

赦し合う基準は、神がキリストにあって私たちを赦してくださったことにある。キリストが十字架にかかり犠牲となって赦し、救いの道を開いてくださった恵みを深く知ることにより、互いに赦し合う者とされていく。

 「新しい人を着る」という生き方を、「がんばり」によって成し遂げることは到底無理で、そこには失望しか生まれないであろう。まずキリストが命を与えてくださったほどに、私たちを無条件で愛し、生きることを喜んでくださっていること、その恵みに深く浸らせていただきたい。神様が私たちの成長を深く願い、ご配慮をし、言葉をかけてくださる方であることを覚えたい。その上で、内に与えられている聖霊の導きに身を委ねながら、この「新しい人を着て生きる」道を歩ませていただきたい。

(問1)「古い人」の性質は何でしょうか(17-24)
(問2)「新しい人を着る」生き方はどのようなものですか(25-32)
(問3)どのような時に、聖霊によって導かれていることを覚えますか(30)