金 言
「朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。」11:6a

説教題 「朝にあなたの種を蒔け」
聖 書 伝道者の書11章1節~6節
説教者 井上賛子師

コロナ禍も3年目を迎え、またウクライナへの軍事侵攻が起こり、世界はどうなっていくのだろう。得体の知れない不安と複雑な思いを心の片隅に抱えながら、日々過ごしているのではないか。今日の御言葉は、その中で指針になればと思い語らせていただく。

1.あなたのパンを水の上に投げよ。1節

パンを水の上に投げてどうなるのか、虚しく思える。明日のため、将来のためにパンを投げるのである。過去に投げたパンがやがて用いられるかもしれない。神の時に。「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。」(3:1)今すぐに結果は出なくとも、将来のために、祝福につながることを信じてパンを投げるのである。また、人に惜しみなく与えるなら、いつか必ずその報いを受けるようになる。申命記15:10、ガラテヤ6:9~10。善を行うことをあきらめずに、失望しないで取り組もう。 内村鑑三の言葉「汝のパンを水の上に投げよ。無効と知りつつ愛を行え、人に善を為してその結果を望むなかれ、物を施して感謝をさえ望むなかれ。ただ愛せよ、ただ施せよ、ただ善なれ、これ人生の至上善なり。最大幸福はここにあり。」 また、この御言葉は伝道についても用いられる。伝道というのは、水の上にパンを投げるようなものである。投げても、投げてもパンは水に沈むだけのように思えるが、将来の実りを信じて、御言葉のパンを投げるのである。

2.風を警戒している人は種を蒔かない。4節

現実や将来を心配しすぎて、なかなか種を蒔けないことがある。躊躇すること、あきらめや心配事、出来ないという思いなど様々あるだろう。1~6節には「知らない」という言葉が繰り返し出てくる。2節「地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないのだから」、5節には「風の道がどのようなものかを知らない」「一切を行われる神のみわざを知らない」、6節に「あなたは、あれかこれか どちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。」 このように人生の先行きは分からない、知りえないのである。そのように先が分からないから「種蒔きはやめておこう」とか、「収穫はもう少し待とう」とためらうのではなく、神様を信頼して為すべき時に為すべきことを行うのである。また風や雲の動きを見極めるということは、神の時を知るということ。私たちには神様の深いご計画は分からないが、祈りの内に神様から知恵や示しをいただこう。

3.朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。6節

「惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。」(2コリント9:6、聖書協会共同訳) 蒔いた種がうまく芽を出すかどうかは、誰にも分からない。どの種も芽を出さないかもしれない。それでも、私たちは種を蒔こう。マルチン・ルターの言葉「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、今日、私はリンゴの木を植えよう」明日、世界が終わるなら、今日リンゴを植えるのは、無駄なこと、意味のないことに思える。けれど、今日一日私に託されている分、務めを精一杯、果たしていこう。希望を捨てず、明日を悲観せず、将来に期待して、種を蒔こう。愛の種を蒔こう、平和の種を蒔こう、御言葉の種を蒔こう、今日為し得ることをしよう。