金言
「神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった」(出エジプト記1:20)

説教題 「とどまることのない祝福」
聖 書 出エジプト記1章1~22節
説教者 栗本高仁師

 本日より、出エジプト記から神様のメッセージを聞いていきます。この書を通して、神様が選んでくださった「神の民(=教会)」に何をしてくださったのか、またそれは何のためであったのか、ということを共に考えていきましょう。その初回である今日は、「神様の祝福はとどまることがない」ということを覚えたいと思います。

1)移住生活においても祝福が

 この出エジプト記は創世記の続きです。ヤコブ一家、総勢70名が飢饉から逃れるためにエジプトに移住しました(1-5節)。実は、下から2番目の息子であるヨセフは先立って奴隷としてエジプトに連れて来られますが、何とそこでNo.2になります。そのおかげで、ヤコブ一家は首尾よく移住することができたのでした。「それから、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ」(6節)というところから、この物語は始まります。
 さて、イスラエルの民はどうなっていたでしょうか。「イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた」(7節)とあるように、彼らは神の祝福を受けたのです。まさに、それは「生めよ。増えよ。地に満ちよ」(創世記1:28)という神の祝福の実現と言えます。また、エジプトの地に行く直前にヤコブにした約束の成就でもありました(創世記46:3)。移住先においても、神様の約束の通りに、祝福が広がっていったのです。

2)祝福を阻む存在

 しかし、エジプト人にとっては、この祝福が脅威となります。ヨセフのことを知らない新しい王は、多くなり、強くなったイスラエルの民が、敵になることを恐れたのです(9-10節)。そのため、彼らに対して、重い労役、あらゆる過酷な労働を課し、彼らの生活を苦しいものにします(11,13-14節)。これが、イスラエルの民の奴隷生活の始まりでした。
 ここを見るときに、人が他者を抑圧してしまう根本的な原因がわかります。エジプト人はますます増えていく「イスラエルの子らに恐怖を抱くようになった」とあります(12節)。まさに、私たちは恐れから、誰かを攻撃してしまうことがあるのです。その恐怖心は、さらに非道な行為につながります。何と、エジプトの王は助産師たちに「ヘブル人の女の出産を助ける時に、男の子であれば殺せ」と命じたのです(15-16節)。
 神様の祝福をいただく時に、その反対側で祝福を阻もうとする存在(目に見えるものだけでなく)が必ずいる、ということを私たちは知っておきましょう。しかし、それは罪の影響で恐怖に支配されているゆえであるということを覚えつつ、同時にあわれみの目も持たせていただきましょう。

3)それでもなお祝福が!

 このような迫害の中にあっても、神様はイスラエルに対する祝福をとどめることはなさいません。彼らはあらゆる労苦を強いられましたが、「苦しめれば苦しめるほど、…ますます増え広がった」のです(12節)。また、「男の子を殺しなさい」と命じられた助産師たちは、エジプトの王ではなく、神を恐れたために、男の子を生かしたのです(17節)。エジプトの王は当然彼女たちを咎めますが、神様は知恵を与えて(18-19節)、この助産師たち自身とその家族を祝福されるのです(20a,21節)。それだけではありません。この勇気ある行動のおかげで、何と「この民は増えて非常に強くなった」のです(20b節)。度重なるエジプトの攻撃がありましたが、それらをはるかに超えるほどの神の祝福が注がれ続けたのです。
 今日の教会の状況、社会情勢を見るときに、「本当に神様の祝福は広がっているのだろうか?!」と疑いの目を向けてしまうことがあるかもしれません。しかし、そのような時だからこそ、この出エジプトにおいて神様が「神の民」にしてくださったことを見させていただきたいのです。実際に、初代教会も迫害下の中で信者が増えていったことが証言されています(使徒4:3-4)。だからこそ、今日私たちも「神の祝福はとどまることがない」と告白できるのではないでしょうか。