金言
「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。』」(イザヤ40:3)

説教題 「神様が新しくされる」
聖 書 イザヤ40:1~11
説教者 井上義実牧師

 4月新年度を迎えた。先週は復活日・イースター礼拝を迎えることができ感謝。今朝の聖書箇所は先月3月21日の教団総会閉会礼拝で開かれてきたものである。私たちの教団全体に語ろうと導かれているメッセージである。

1)私たちの現在から

 本年度の教団の標語は『転換点を迎えて、過去への感謝、現在への確信、未来への指針』である。教団は現在、厳しい状況にある。船橋栄光教会も一昨年は定住の牧師がいない1年を過ごしていただいた。信徒の皆様、全国の各教会は精一杯献げてくださり、よく支えてこられ、心から感謝をささげる。教団が転換点を迎えているというのは教勢・財政で考えるならば、昨日・今日の話ではない。2000年頃をピークにして、20年以上にわたって教勢・財政は毎年1~2%減少しており、20~30%の低下になっている。日本の国全体を見ると社会も経済も右肩は下がっており、残念ながらその反映でもある。
 ペテロは神殿の美しの門で足の不自由な人に「私にあるものをあげよう」と言った。「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」。ナザレ人イエス・キリストの御名を私たちも持っている。キリストの御名の力を今こそ私たちは用いる。イエス・キリストの福音は私たちの信仰の根幹、信仰の基そのものである。さらに、私たちの内に受け継がれてきた信仰を、今も私たちは持ち続けている。困難があり、戦いに向かうに当たって、弱さを感じ、惑いを覚える。福音と信仰を持ち続けているならば恐れることはない。具体的に、実際に私たちを導き続けていく。

2)私たちの未来へ

 聖書には多くの転換点があるが、その中でイザヤ40章が開かれてきた。イザヤ書は39章までと40章以降で大きく2分される。前半は裁き、審判、後半は回復、復興を表す。後半の最初40:1に「慰めよ」が2回繰り返し強調される。第一義的には国をやがて失い、バビロンに捕囚される痛み、苦しみ持つイスラエルの民に対して、やがて起こるバビロン捕囚からの解放である。続いて、救い主メシアの到来、66章に向かってメシアの再臨、永遠へと至る救いの完成が示される。
 私たちを導き続けられる神様。神様は力ある御方であり、その力を振るわれる。御腕をもって統べ治められる(10)。神様ご自身の手によって再構築をされる。大路をまっすぐに、谷は引き上げられ、山と丘は低くされ、曲がったところはまっすぐに、険しい地は平らになる(3-4)。
私たちを守られ、愛されている神様。羊飼いとして群れを養う。小羊を抱き、優しく導く(11)。私たちはこの神様を証しし、指し示す。「見よ、あなたがたの神を。」。ここに救いがあること、ここに平安があること、ここに豊かな祝福があることが示される。

3)私たちの変わらないもの

 私たちが変わらない不変のものを持っているからこそ、変えていく勇気を持つことができる。これからの教会、教団を支えていく枠組みを作りながら、さらに信仰が深められていくように願う。大いなる神様の御業を見せていただこう。

【時報4月号巻頭言】部分を抜粋

 教団の特長は穏健でバランスの取れた信仰にあります。救霊の情熱、生活に根差した潔めを持つ敬虔な信仰が培われてきました。この信仰は発火点となったバックストン師、ウイルクス師より、歴代の諸先生方、多くの聖徒たちによって受け継がれています。 私たちが持っているものはこの信仰の中に宿る命です。言葉や形に表しづらいですが無形の財産です。教団は出発点から一教派に偏ってはおらず、教派的な神学や組織からは離れています。その中で、諸先輩方により私たちの信仰に基づいた教団の組織が生まれていきました。
 現状は強い逆風にさらされています。環境的にも国際情勢も、国内の状況も良くはありません。皆様の尊い祈りと献身によって教団は支えられてきましたが、教勢・財勢ともに厳しい状況です。教職・信徒の高齢化、減少によってさまざまな困難を覚えています。教団の歴史から書き始めたのは、組織があって教団が生まれたのではなく、信仰があって教団が生まれ、組織が形作られてきた事実の再確認です。それ故に組織は固定化されたものではなく、その時に相応しい形に、信仰に基づいて造り変えることができます。信仰によって歩みだした私たちが、今の状況の元で信仰によって新しい歩みへと押し出される時が来たのではないでしょうか。

 

 20年、30年先まで保つことのできる宣教と教会形成の枠組みを目指す。それ以降は状況の変化もあるだろう。途中で受け継がれていく方たちに託す。具体的な提案はこれから示すが、私たちはいただいている信仰の恵みに感謝しながら、神様の業を果たしていこう。