金言
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)
説教題 「聖なる生きたささげ物として」
聖 書 ローマ人への手紙12章1~2節
説教者 栗本高仁師
今月最終週の礼拝ですので、私たちの教会のビジョンについて見ていきます。今日は三つ目のビジョン(霊的成長)の「聖霊の力によってきよめられ」という部分を見ていきます。
1)きよめは何のためにあるのか
前回(6/25礼拝)「霊的成長」について二つのことを見ました。まず、それは単に個人的な成長のことではなく、共同体として、すなわち「神の教会として育てられる」ことでした。もう一つは、その成長とは「神の栄光を現す共同体となる」ということでした。
それでは私たち教会は、どうすれば神の栄光を現すことができるのでしょうか。聖書は「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」(1節)と私たちに勧めています。それは、「神である主が聖である」(レビ記19:2)ためです。聖なる神の栄光を現す器として、私たち教会も「きよめられ、聖なる者となる」ように招かれているのです(2テモテ2:20-21)。逆にいうと、「きよめ(聖化)」はいつも「神の栄光を現す」ためのものであるということです。それゆえ、「わたしたちが聖霊の力によってきよめられ、神の教会として育てられる」というビジョンが掲げられているのではないでしょうか。
2)きよめのプロセスとは何か
それでは、私たちが「きよめられていく」とは具体的にどういうことでしょうか。私たちはイエス様を信じて「神の子」とされ、新しい身分が与えられました(聖徒と呼ばれる!)。しかし、なお「古い罪の性質」が残っていることに悩みます。そのような古い人を脱いで、新しくされ続けていくこと(2節)、それが「きよめのプロセス」です。それは、罪に支配されている部分を、一つ一つ「神のもの」として明け渡していくプロセス(自分自身を神に献げていく:1節)とも言えるでしょう。
しかし、「きよめ」のプロセスは、罪がなくなるといった抽象的な出来事ではありません。そこには、具体的な「愛の実践」がなされていきます。互いの賜物をいかし合いながら互いに支え(6-8節)、互いに愛し合い(10節)、もてなす(13節)のです。
3)きよめのプロセスをどのようにして進むのか
それでは、私たちはどのようにして、そのプロセスを進んでいくことができるのでしょうか。興味深いことに、パウロはこの直後で「大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだである」ことを述べています(5節)。私たちは「神のあわれみによって」(1節)、信仰を通して、すでに「キリストと一つ」にされています。それは、私たちが自分自身を献げたからではありません。キリストがご自身を「聖なる生きたささげ物として献げられた」ためです。このキリストと結び合わせられているがゆえに、キリストの似姿へと変えられつつ、「きよめ(聖化)」の道を進んでいくことができるのです。私たちをキリストと結び合わせてくれる具体的な力は「聖霊」です。だからこそ、私たち自身を変えていただけるのは、「御霊なる主の働きによる」のです(2コリント3:18)。まさに、「神のあわれみによる」のではないでしょうか。
私たちが「きよめられる」ということは、一朝一夕ではなりません。だからこそ、教会に与えられたビジョンとして、聖霊の力により頼みながら、互いに励まし合っていこうではないでしょうか。