聖 句「話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。」(ルカ24:15)

説教題 「近づき、歩き、悟らせる」
聖 書 ルカの福音書24章13~35節
説教者 栗本高仁師

 イースターおめでとうございます。この日は、大いなる希望の日、悲しみが喜びに大逆転した日です。

1)近づいてくださる方

 日曜日の朝、二人の人が悲しみと驚きを抱きつつ、歩いていました。彼らはエルサレムという都から、約11km離れたエマオという村へと向かっていました(13節)。その道すがら、この二日間で起こった「出来事すべてについて話し合ってい」ました(14節)。彼らは様々なことを思い巡らしながら、対話していたのでしょう(15節)。一体その出来事とは何であったのでしょうか。
 ある男の人が彼らに近づき「その話は何のことですか」と尋ねます(17節)。すると、彼らは暗い顔をしつつ、クレオパという人が答えます。「このエルレサムにいながら、近ごろ起こったことを、あなただけがご存知ないのですか」(18節)と。それは、あのエルサレム中で噂になっている「ナザレ人イエス様のこと」でした(19節)。イスラエルをローマ帝国から解放してくれる救い主として期待されていた方が、何と十字架に架けられてしまったのです(19-21節)。そのことのゆえに、彼らは大きな失望の中にいたのでした。
 しかし、私たちはこの近づいてこられた方の正体を知っています。まさに、そのイエス様ご自身だったのです(15節)。イエス様は復活されて、彼らに近づいてくださったのです。私たちも悲しみに打ちひしがれることがあります。しかし、イエスは復活されたゆえに、悲しみの状況の中にある私たちにも近づいてくださるのです

2)一緒に歩いてくださる方

 ところが、復活したイエス様が近づいてくださったにもかかわらず、二人の弟子はイエスであることが分かりませんでした(16節)。とても残念なことです。しかし、イエス様はこの時すぐには、自分自身のことを明らかにすることも、なぜわからないのだ、と彼らを責めることもなさいませんでした。イエス様は「彼らとともに歩き始められた」のです(15節)。そして、あえて質問することによって彼らの話を聞こうとされるのです。「あなただけがご存じないのですか」(18節)と言われたときも、決して焦らせることなく、彼らの歩調に合わせて「どんなことですか」と尋ねてくださいました(19節)。
 このように、復活されたイエス様は私たちと歩調を合わせてくださるお方です。それゆえに、今イエス様のことがはっきりわからなくても心配はありません。そのような時から、イエス様は私たちと一緒に歩いてくださり、話を聞いてくださっているのです。

3)悟らせてくださる方

 ところで、なぜ復活したイエス様のことに気づかなかったのでしょうか。一つわかることは、姿・かたちだけでは認識できなかったということです。それでは、どうすれば分かるようになるのでしょうか。
 彼らは一通り自分たちの心のうちを話しました。すると、今度はイエス様が語り始めます(25節)。そして、聖書に書かれている一つ一つのことを彼らに説き明かされたのです(26-27節)。救い主キリストは必ず十字架で苦しみを受けてから、復活されるということ、それは予想外の出来事ではなく、計画通りのことであったと語られます。そして、イエス様と食事をする場面で、彼らの閉ざされた目が開かれたのです(29-31節)。イエス様の声をゆっくりと聞くことで、彼らは悟ることができました。
 今私たちも、この聖書のことばを通して、イエス様の声を聞くことができます。イエス様は死んだ神ではなく、今も生きておられる神様です。それゆえに、本当に大切な人生の場面で、イエス様のことばは私たちを助け、生かすことができるのです。その繰り返しによって、私たちもイエス様が生きておられる神であることを悟ることができます。その時まで、ずっとイエス様は一緒に歩いてくださいます。

 この復活されたイエス様と一緒に歩く旅路を、ともに始めていこうではないでしょうか。そして、ゆっくりとイエス様の声を聞かせていただこうではないでしょうか。