聖 句「笛を吹いてあげたのに、君たちは踊らなかった。
弔いの歌を歌ってあげたのに、泣かなかった」(ルカ7:32)

説教題 「神の呼びかけに対して」
聖 書 ルカの福音書7章24~35節
説教者 栗本高仁師

 私たちが生きている中で、実に多くの「しるし」があることを知ります。大切なことは、その「しるし」に気付き、後に起こる出来事に備えて相応しく行動するということではないでしょうか。
 神様は、私たちのために救い主メシアであるイエス様を与えてくださいましたが、そのための「しるし」も同時に備えてくださいました。

1)ヨハネの偉大さ

 そのしるしとは、実は先に登場した「バプテスマのヨハネ」(7:18)であったのです。直前では(ヨハネからの問いかけを受けて)イエス様ご自身について語られましたが、今度はヨハネ自身について語られます。
 イエス様は群衆に向かって「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか」(24節)と尋ねます。多くの群衆がわざわざ「荒野」へ行ったのは、もちろん「風に揺れる葦(弱々しい虚しいもの)」を見るためでも、「柔らかい衣を着た人(富んでいるもの)」を見るためでもありません(24-25節)。そこで、力強く神様のことばを語る「預言者」であるヨハネを見に行っていたのです(26節)。
 なぜ、彼は「荒野」で活動していたのでしょうか。それは、救い主が来る前に「荒野」で「主(救い主)の道を用意せよ」と叫ぶ者が現れると約束されていたためです(3:4-6,参照イザヤ40:3)。それゆえ、イエス様は「ヨハネこそが、メシアの前に遣わされたしるしだ」と明言し(27節)、預言者以上の存在であり(26節)、最も偉大だと言われるのです。

2) イエスを信じる者の偉大さ

 このようにイエス様はヨハネの偉大さを強調します。しかし、ここでイエス様が言われたいことは、その偉大さを語った直後の「しかし、神の国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です」という言葉にあります(28節)。
 ヨハネはあくまでも「しるし」であり、大切なのは「しるし」が指し示す存在です。つまり、メシアなるイエス様です。すでにイエス様が来ているがゆえに、良い世界(=神の国)は始まっています。その良い世界は、これまでの世界とは決定的に違うのです。だからこそ、イエス様を信じ、神の国で生きている者たちは、あのヨハネよりも偉大であり大きな祝福をいただけるというのです。このように、イエス様を信じて生きる者が、どれほど偉大な者であるかを、イエス様は語っておられるのです。
 ここに神の呼びかけがあります。偉大な預言者ヨハネを通して、メシアならうイエスを通して、神様は私たちにこの祝福にあずかるようにと招いておられるのです。

3)頑なな心のゆえに…

 ところが、この神の呼びかけに対して、全てのものが相応しく応答できたわけではありませんでした。「ヨハネの教えを聞いた民はみな、取税人たちでさえ、彼からバプテスマを受けて、神が正しいことを認めました。ところが、パリサイ人や律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けず、自分たちに対する神のみこころを拒みました」とイエス様は言われます(29-30節)。皮肉なことに、よく聖書を知っていて、預言者のことばにも精通していた者たち(パリサイ人たちや律法の専門家たち)がこの祝福にあずかることができなかったのです。
 何が問題であったのでしょうか。イエス様は、神の呼びかけに応答しない人々を、広場で遊んでいる子どもたちにたとえます(32節)。ここで言われているのは、正反対の遊び(「笛を吹く」と「弔いの歌を歌う」)に誘われても、どちらをも拒絶する頑なな子どもたちです。ヨハネの悔い改めへの招きをも、イエスの喜びへの招きをも、拒絶するのです。そして、どちらも間違っていると主張するのです(33-34節)。つまり、彼らは自分の期待できる救い主しか受け入れようとしないのです。
 私たちもこのような頑なさがないだろうかと問われます。神の呼びかけに対して、自分たちの常識や期待をおいて、応答する用意ができているでしょうか。どうぞ、今日心を開いて、神様の呼びかけを受け入れるお互いとならせていただきましょう。