聖 句「すると雲の中から言う声がした。『これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。』」 (ルカ9:35)

説教題 「これはわたしの選んだ子」
聖 書 ルカの福音書9章28ー36節
説教者 栗本高仁師

 イエス様はご自身が十字架と復活のキリスト(メシア)であることを、語られました。しかし、それは弟子たちにとって到底受け入れられることではありませんでした。なぜなら、メシアが死ぬことはあり得ないことであったためです。しかし、直後にイエス様こそ正真正銘のメシアであることが明らかになります。

1)十字架こそが栄光

 イエス様は弟子たちに語られた後「ペテロとヨハネとヤコブを連れて、祈るために山に登られ」ます(28節)。「祈るため」とあるように、イエス様は父なる神様との交わりのために山に登ったのです。そして「祈っておられると、その御顔の様子が変わり、その衣は白く光り輝」きます(29節)。まさに、モーセがシナイ山で主と語り合って、山から降りてきたときに彼の顔が輝きを放っていたのと同じです(出エジプト34:29-30)。イエス様が神と親密に語り合ったことが、変貌の出来事の正体であったのです。
 さらに二人の人物、モーセとエリヤが登場します(30節)。彼らは旧約聖書を代表する人物です。イエス様がモーセのように天からのパンで人々を養い(9:10-17)、またエリヤのようにやもめの一人息子を生き返らせ(7:11-17)てきました。そのことを通して、イエス様が預言者たちの働きを成就する方として来られたことが明らかになるのです。その預言者の働きの成就とは単なる奇跡ではありません。イエス様は彼らと「エルサレムで遂げようとしておられる最期(=エクソダス)について、話していた」のです(31節)。その最期とは直前で語っていた「十字架の死」であります。その御業こそが、私たちを罪の奴隷から解放するための「出エジプト(エクソダス)」を成し遂げるのです。
 このように十字架こそが、栄光であることを明らかにしてくださったのです。私たちもイエスの十字架に光があることを覚えたいのです。

2)神の認証

 しかしそれだけではありません。モーセとエリヤがイエスと別れようとした後、イエス様が親密な交わりをなされた神の声が直接聞こえるのです(雲は神の臨在の象徴:34節)。そして、神様は「これはわたしの選んだ子」と言われます。これは旧約聖書の二つのことばから来ています。一つは、詩篇2:7の「王(メシア)の任命」のことば。もう一つはイザヤ42:1の「主のしもべ」へのことばです(この主のしもべは53章の苦難のしもべにまでつながっている)。これは、イエス様が公生涯のメシアの働きを始められる前に、ヨハネから洗礼を受けた時にも聞こえた声です(3:22)。まさにイエス様は、天の神様から認証を受けた「メシア」であり「苦難のしもべ」であることが明らかにされたのです。
 このように、あらゆる旧約聖書のイメージがこの変貌山の出来事の中で集約されています。そのことを通して、私たちに、イエスが真にメシアなるキリストであることを明らかにしてくださったのです。

    3)このかたの声を聞く

     この出来事の中に組み入れられたのが、3人の弟子たちでした。興味深いことに、イエス様が栄光のお姿をとり(29-31節)、神の承認を受けられる(34-35節)、その前後に弟子たちへの言及が挟み込まれています(28,32-33,36節)。それは、イエスの働きはご自身だけでなされるものではなく、弟子たちへと継承され、広がっていくためです。しかしなお、彼らは弱く、無理解な状態であります。この出来事の中でも「眠くてたまらなく」(32節)、また「自分の言っていることが分かっていなかった」のです(33節)。
     私たち一人ひとりも同じかもしれません。イエス様がこの世界で何をなされたのか、今何をなそうとしておられるのか、理解できないことがあるのです。しかし、そのような私たちをイエス様は信仰の旅路へと連れ出してくださるのです。それゆえに、神様は私たちに一つのシンプルな道標を与えてくださっています。それが「彼の言うことを聞け」ということばです(34節)。私たちの聞くべき声、それはイエス様の声です。神様から認証を受けている方の声を聞いていくのです。わからずとも聞いていくのです。その中で私たちは少しずつメシアなるイエス様の働きを悟っていくのではないでしょうか。